司馬江漢随筆・続12

【江戸時代の随筆・司馬江漢】続12

 備中岡田の平治兵衛の東遊雑記を見るに、南部の辺地を通行した際、海辺に米櫃、金箱、帆柱、舵の類が多く波に打ち寄せられていた。土地の者に「どうして拾わないのかね。薪になるし、金銭もあるのではないか?」と聞いたところ、その人が言うには、「これらは皆難破した船のものだ。これを自分のものにしたら亡霊のたたりがある。だから拾わないのだ」と。

 東北の辺地の人の愚直ぶりがよくわかることだ。


[注解]●備中岡田の平治兵衛 古川古松軒(ふるかわこしょうけん)で有名。1726~1807、 江戸中・後期の地理学者。備中岡田藩の人。名は辰,通称,平次兵衛。長崎で測量術を学ぶ。諸国を巡り,「西遊雑記」(九州方面)「東遊雑記」(東北方面)を著す。その土地を見たまま感じたままに記録し、自身の故郷中国筋・上方を基準にして、遠方のへき地の後進性を批判的に記している。

 江漢が紹介した部分は遭難した人たちのたたりを恐れて、海岸に打ち上げられた再利用できるものや金目のものを拾い集めることをしないといったその土地の人たちの純朴さを示した分かりやすい逸話。ほかの地域ならみんなすぐに競い合って拾い集めるが、中央の政治や文化とは常に疎外されてきた感のある東北は独自の風土があり、それが古川古松軒や司馬江漢ら知識人にとっては文化の遅れとして痛感したのでしょう。

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