司馬江漢随筆・続11
【江戸時代の随筆・司馬江漢】続11
善人と悪人は生まれながらにして授かるものである。曲がりくねった松を継いだからといって真っすぐな杉にはならないし、いくら聖人の教えを学び習っても本性は消えない。
柳下恵(りゅうかけい)は飴を見て「これは老人を養うのによい」と言い、盗跖(とうせき)は「錠に張り付けて型を取るのによい」と言った。
[注解]●柳下恵 周の時代の魯の国の大臣で裁判官。まじめで正しく、賢者として崇められた。●盗跖 同じく魯の盗賊の長。手下9千人と言われ、各地を荒らしまわった。以後、盗賊の代名詞として江戸時代には道徳でもよく引き合いにだされた。
善人と悪人を対比させ、飴ひとつとっても両者で発想がまったく異なることを示している。なかなか強烈な対比です。一般には、だからこのような悪人にならないようにしっかり学び、自分を磨け、と教えたものですが、江漢は完全に突き放している。松は松、杉は杉という例えで、死ぬまで変わらないという見解。厳しいです。「学習」は論語を出典としており、学は師から教わること、習は自分でおさらい、復習すること。いくら学んでも習うことをしなければ身に付かないということです。自分で納得しなければならない。しかし、江漢は生まれながらの悪人は学習では本性はどうにもならないとする。
司馬遷は『史記』で「天道、是か非か」と嘆いています。この嘆きが130巻もの大著をなさしめた原動力の一つになったわけですが、伯夷と叔斉という立派な兄弟は父からの王位を互いに譲り合い、結局二人とも受けずに山に入って餓死した(この故事が水戸光圀公の目を覚まさせて発奮させた)一方、大盗賊の盗跖は天寿を全うした(一度、捕らえられて処刑されかかったものの、うまく切り抜けたとされる)。善人は死に、悪人は長生きしていい思いをする、天の道は果たして正しいのか、それともいいかげんなのか――司馬遷は混乱し、天に誤りがあるのであれば、自分で何が正しく何が間違いかを明らかにしようということから、人物中心の歴史を著わすことにしたわけです。個々の人物の生き方から普遍的なものを見極めようという態度。江漢の考えは、善は善、悪は悪と完全に割り切り、人の本性まで当てはめている。なかなか厳しい見方ではあります。
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