司馬江漢随筆・続8

【江戸時代の随筆・司馬江漢】続8

 鎌倉にどこも地蔵というのがある。ある時、堂守の僧が参詣者もない堂を守るよりも、どこかへ立ち退いてしまおうと考えた。

 その夜、夢に地蔵が出てきて言った。

「どこもどこも」

 老僧は目を覚まし、さて、どういう意味であろうかと思案し、これは「どこもどこも同じことだ」(どこへ参っても同じ)という意味だろうと解釈し、生涯、この堂に住んだという。


[注解]江漢が記したこの話、調べてみたところ、鎌倉の瑞泉寺(臨済宗円覚寺派)に実際に伝わっているものということです。「どこもく地蔵」と言い、別名「どこも地蔵」。もとは扇ヶ谷の地蔵堂にあり、大正5年に瑞泉寺に寄進された由。今伝えられている話は「どこもく」(どこも苦)で、どこへ行っても苦労する、という意味に解されていますが、江漢の随筆は「どこもどこも」となっており、江漢が正確に聞いてなかったのか、うろ覚えだったのか、それとも江漢よりあとに話に尾ひれがついて詳しくなったのかわかりませんが、今伝えられている話を江戸時代の人も書き残しているのは、時代を超えて語りかけてくる感じがします。

過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。