佛像圖彙195

【195】賀茂大明神(かもだいみょうじん)


[通釈]

賀茂大明神 梵字はア 十二日

城州愛宕の郡に鎮座する。

本地は正観音

別雷命(わけいかずちのみこと)。欽明天皇の御代に初めて上下の神を祭る。


[注]

別雷命 賀茂別雷神社(上賀茂神社)の祭神であり、各地の加茂神社(賀茂神社・鴨神社)で祀られる。古事記と日本書紀には登場しない。『賀茂之本地』では阿遅鉏高日子根神(あじすきたかひこねのかみ、アヂシキタカヒコネとも)と同一視されている。

余説 御手洗団子はここの門前の茶屋が発祥とか。或いは後醍醐の故事によるとの説もある由。〔冢堀庵〕


[解説]

 「かも」神社は現在二つあり、それぞれ字が異なる。

 上賀茂神社は賀茂別雷神(かもわけいかずちのかみ)を、下鴨神社は玉依媛命(たまよりひめのみこと)と賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)を主祭神として祀っている。上賀茂・下鴨の両社は記紀にはあらわれず、これらの祭神も記紀にはまったく登場しない。山城国風土記逸文などによると、賀茂建角身命は神武天皇の東征の先導役を務めた神で、大和の葛木(かずらぎ)山、山代国岡田の賀茂(京都府木津川市加茂町)などをへて賀茂川上流域へと至ったとされる。賀茂建角身命の娘が玉依媛命であり、玉依媛命が川上から流れ下ってきた丹塗り矢(火雷神の化身)を夫として生んだ子神が賀茂別雷神。

 先に成立したと思われるのは上賀茂神社で、『山城国風土記』逸文や『賀茂旧記』などによると、いったん天に昇った賀茂別雷神が本殿背後にそびえる賀茂山に降臨したことにはじまるとする。6世紀なかばには欽明天皇の命で賀茂神の祟りを鎮める祭りが執行。これが、賀茂祭(葵祭)のはじまりとされている。

 下鴨神社は創祀が不詳で、確実な史料における初出は、『続日本後紀(しょくにほんこうき)』 承和(じょうわ)15年(848)2月条の「天平勝宝2年(750)に賀茂御祖大社に神田(しんでん)を奉った」という記述。欽明天皇の代には下鴨神社があったかどうか不詳だが、『佛像圖彙』の著者は欽明帝の時から上下が存在したという説を採っていることが説明でわかる。何に拠ったのかが知りたい。

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