司馬江漢随筆・続3
【江戸時代の随筆・司馬江漢】
永禄年間の江戸の地図を見るに、南は金洲崎白銀台、西は麻布飯倉、今井村、これらは今の江戸見坂辺をいう。桜田村は今の霞が関。北は神田川、湯島、忍が岡は今の上野。不忍池より下谷の方へ流れる川がある。荒川は今の千住川、浅草観音は島のようになっている。また、芝通り、日本橋辺の町々、小川町、下谷、本所深川はみな浅海で池のようになっている。浅草海苔の名前の由来がわかる。海が次第に隆起することはこれによってわかる。今より十億万年経った頃には、日本と亜墨利加(アメリカ)が地続きとなることだろう。
[注解]江戸時代も後期になると自然に関する資料も多くなり、過去から当時における現在の違いについてもいろいろと認識が深まってきました。天文から地震や津波など、古くはわけがわからずただ恐れていたのが、自然現象もまた生き物のように動いており、それ自体は恐れることはないといったように。もちろん、現象によっては災害を引き起こすから、恐ろしいという気持ちは変わりませんが。
海岸線の変化についても、古い地図と当時における現在とを見比べると変化があることがわかり、江漢は海底が隆起したといった捉え方をしています。ただ感じたことを書きつけただけの随筆であり、それ以上深く考察しようという気持ちはなく、遠い将来にはアメリカと地続きになること
だろうと一種の夢をいだいて終わっています。
下の図は、永禄より時代が下がりますが、慶長年間の江戸図(部分)。海が隆起したかどうかはともかく、江戸の街を形成すべく盛んに埋め立てがはじまり、今の文京区界隈にあった山を東京湾の埋め立てに使うなど、地形が大きく変わり始めた。今の東海道線がちょうど海岸線に沿って敷設されましたが、現在ではすっかり内陸となり、東京-横浜間で海に接する所は全くありません。並行している京急線のルートなど、多くが江戸時代には海だった所です。それにしても、江戸の海岸線の変化を見て、アメリカと十億万年後には地続きとなるだろうとは、なんとも壮大な思いです。江漢の人柄がわかる一文です。
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