司馬江漢随筆・続1
【江戸時代の随筆・司馬江漢】
続いては司馬江漢の随筆の続きです。拙訳で、1回1話です。逐字訳では意味が通らない部分があるため、適宜意訳しています。順不同。全訳ではありません。
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文化辛巳(=8年、1811年)6月5日、熊谷の百姓という、60近い人が訪ねて来た。その者が言うには、
「先生の所に星の図があるということを吉田氏の親類より聞きました。その図に毎朝水を捧げて祈ると、家内繁盛して災難除けになるとか。その図を頂戴したいのですが」
私は笑って言った。
「星の図、確かにあります。差し上げましょう。拝もうとも拝まずとも勝手にどうぞ。そもそも吉凶は星にとって預かり知らぬこと。ところで、火星のことを蘭語ではマルスと言いますが、これは摩利支天(まりしてん)のことでしょう。真言宗では星などを神としています。祈っても祟りはありますまい」
このように言い聞かせたところ、
「これは粗忽なことを申してしまいました」
と言って帰ったことだ。
[注解]化政年間は江戸時代最後の華やかな時代で、この頃になるとお百姓の知的水準もだいぶ高くなり、暮らしに余裕のある人も多く、珍しい絵画があると聞くと、わざわざそこへ出かけて行って買い求めたほど。絵画に限らず、書画骨董、いろいろなものを蒐集したり、珍しいものを求めたり。司馬江漢はそういった珍物集めが愚なることも随筆に書きつけていますが、この話も、絵はあくまで絵であり、不思議な霊力があるわけもないし、星そのものが吉凶を及ぼすこともないといった冷静で科学的な説明をして諭している。お百姓がすぐに納得して帰ったのもなかなか理解力があります。時代は確実に進んでいる。しかし、幕末に向けて世の中が混沌とし、殺伐としてくると、新興宗教が次々と出来て、進歩的な人を除き、大衆の多くがそれに引き込まれていってしまいます。
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