身分制度(8)

【身分制度】8

 「武士は食わねど高楊枝」庶民と違い武士は無欲恬淡で高潔、というのはあくまで理想で、元禄、田沼、化政時代と、華美な庶民たちが時代を謳歌する姿を見ると、武士たちも指をくわえて見ていることはできない。

面白いことに、江戸時代は庶民が少しずつ武家の世界に近づこうとしたのに対し、武士は庶民の習慣や流行を取り入れて庶民の世界に近づく現象が見られた。一時的なものではなく、ゆっくりと、確実に。最初は歌舞伎も庶民の娯楽だと鼻にもかけなかった武士たちが次第に役者に入れあげ、楽しむようになった。公然と観ることは憚られたし、しばしば禁令の対象にもなったほどだから表向きは無視したものの、庶民に変装したり(当時は実によく変装がはやった。例えば、僧侶はそのまま吉原へ行くことは憚られたから、風体が同じ医師という触れ込みで通った)、大名らはわざわざ邸に招いて演じさせたりして贔屓にしたり。書物も、武士は漢籍など硬いものと決まっていたのが、庶民の読む柔らかいものをひそかに求めて読むだけでなく、自分でも著わすようになったり。逆に、町人、ひいては農民までもが漢文をものするようになり、身分はあっても学問、技芸、風俗あらゆる点で一体化の動きが見られるようになった。武士から農民まで、その席では身分に関係なく同等に交わり楽しむといった句会などの場も盛んに開かれ、文化は身分を超えた所にあるといった意識は確かにありました。

 このような身分を超えた動きは高尚な世界だけではなかった。むしろ、切実な問題からそれを取り払おうとする動きも時代が下がるにつれて多くなった。

 武士とて食わなければ生きてゆけない。しかし、武士は兼職が禁じられており、分相応の生活水準を維持しなければならない。が、貧乏はそれを許さない。庶民を見れば、労働はきついものの、身分に囚われて虚勢を張ったり人目を気にする必要もなく、娯楽(現代人は娯楽というとすべてカネのかかることばかりですが、昔はカネのかからないことのほうが多かったし、あるもので楽しむ知恵や工夫があった)に興じる。うらやましくて仕方がない。一方、庶民の中には武士に憧れる者もおり(当節、おいしい思いがしたくて議員になろうとする者がいますが、それに通じる部分あり)、こうなると両者の思惑が一致して、与力などの役職の株を売買して、武士が町人に、町人が武士になるということが行われるようになりました。身分をカネで買うなんて考えられないことですが、これはそもそも幕臣の場合、4代将軍以前に召し抱えられた者は譜代として養子が許されたのに対し、4代以降に召し抱えられた者は養子が許されなかったため、誰かに自分の役職を継がせる必要があり、その権利(=株)が売買されて、町人が武士になるといったことが行われました。ひとたび与力になると正式の武士ですから、更に工作をして高官の養子になり、番頭(ばんがしら)などに出世する。こういったことは身分制度の破壊ですが、後継ぎや貧乏といった切実な問題があり、幕府もすべてを禁止したら滅びる家が続出し、浪人が増え、ひいては倒幕といった動きを引き起こしかねないためにこれも見て見ぬフリをしました。多額の寄付をした商人に名字帯刀を許すといったことは当たり前。寄付行為により名誉称号や名誉職に就けるといったことは現代でも普通に行われていますが、これも当時からあったものです。つづく

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