佛像圖彙191
【191】天照皇太神(てんしょうこうたいじん)
[通釈]
天照皇大神 梵字はアーク 十日
勢州(伊勢の国)度会(わたらい)郡に鎮座。
垂仁天皇二十五年に内宮(ないくう)が創建される。
雄略天皇二十二年に外宮(げくう)が創建される。
本地は大日如来
[注]
内宮と外宮を一身として表現している。
余説。古川柳に曰く「伊勢參り大神宮にもちょっと寄り」庶民の伊勢参りの実情。物見遊山を兼ねる事が殆どであった。参宮はほぼ伊勢参り限定。ちなみに社参といえば日光限定であった。江戸時代も中期になると道路が整備され、治安もよくなり、気ままな旅といった他国への移動は原則禁止されたものの、公用(訴訟)や寺社参拝、病気療養のための湯治といった目的や理由があれば道中手形が発行、つまり許可された。お伊勢参りが大流行したのも信心ではなく、これにより諸国を巡る大旅行ができるからで、一生に一度の楽しみとされた。とはいえ、旅費は馬鹿にならないため、「講」という互助会を作り、皆でお金を出し合って貯め、これにより個人では無理な農民なども農閑期の年末年始などに出かけることができた。金毘羅参り、富士登山なども「講」によって盛んとなった(富士登山は男性のみ)。高野山のように現地に行くのが大変な所は信心深い人たちだけで、鉄道や道路が整備される明治以降次第に観光地化したが、伊勢や金比羅のような賑わいには及ばない(高野山も昔は女人禁制だったことも影響している)。
[解説]
天照皇大神(あまてらすおおみかみ、あまてらすおおかみ)または天照大御神は、日本神話に主神として登場する神。 女神と解釈され、高天原を統べる主宰神で、皇祖神とされる。『記紀』(古事記と日本書紀)においては、太陽神の性格と巫女の性格を併せ持つ存在として描かれている。本地垂迹(神仏習合。仏菩薩を本地(真実の身)、神を垂迹(仮の身)とする思想)として、アマテラスは実は大日如来であるとするのだから、恐れ入るばかりである。絵も女装した大日さんで滑稽としか言いようがない。この辺は、作画した人の苦労が偲ばれる。
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