1939年9月17日
1939年9月17日 昭和14年
【内 閣】
総理 阿部信行/外務 阿部信行(首相兼任)/内務 小原直/大蔵 青木一男/陸軍 畑俊六/海軍 吉田善吾/司法 宮城長五郎/文部 河原田稼吉/農林 伍堂卓雄/商工 伍堂卓雄(兼任)/逓信 永井柳太郎/鉄道 永井柳太郎(兼任)/拓務 金光庸夫/厚生 小原直(兼任)/内閣書記官長 遠藤柳作/法制局長官 唐沢俊樹
【元 老】
西園寺公望
【宮中主要官】
内大臣 湯浅倉平/宮内大臣 牧野伸顕/枢密院議長 近衛文麿/枢密院副議長 原嘉道
【軍部高官】
[陸 軍]
陸軍次官 阿南惟幾/軍務局長 武藤章/参謀総長 杉山元/参謀次長 沢田茂/教育総監 山田乙三
[海 軍]
海軍次官 豊田貞次郎/軍令部総長 伏見宮博恭
【植民地高官】
朝鮮総督 南次郎/台湾総督 小林躋造/関東長官 梅津美治郎/樺太庁長官 棟居俊一/南洋庁長官 近藤駿介
【東京】
府知事 岡田周造/市長 頼母木桂吉
第二次世界大戦・ポーランド侵攻: ナチス・ドイツのポーランド侵攻に呼応する形でソ連赤軍がポーランド東部に侵攻
ポーランド侵攻は、1939年9月1日にドイツ軍とその同盟軍であるスロバキア軍が、続いて1939年9月17日にソビエト連邦軍がポーランド領内に侵攻したことを指す。ポーランドの同盟国であったイギリスとフランスが相互援護条約を元に9月3日にドイツに宣戦布告し、ポーランド侵攻は第二次世界大戦に拡大した。ポーランドへの侵攻作戦はソ連外相ヴャチェスラフ・モロトフとドイツ外相ヨアヒム・フォン・リッベントロップの独ソ不可侵条約調印の9日後、すなわち1939年9月1日に開始され、同年10月6日にドイツとソ連は実質的にポーランド全域の占領を完了することとなった。ポーランド分割占領は先の条約の秘密合意事項であった訳である。その暁にドイツ・ソビエト境界友好条約が結ばれた。ポーランド回廊問題はかねてからフォッシュなど有識者によって世界大戦につながることは知られており、1920年代末から1930年代半ばにかけての軍縮の失敗と軍需財閥の進出は戦争を不可避にし、これが第一次世界大戦を規模においても被害においても凌駕する大規模な世界戦争になることは誰もが知り、覚悟を決めていたことだった。
ヒトラーは自作自演の「ポーランド正規軍によるドイツ領のラジオ放送局への攻撃」(グライヴィッツ事件)及びドイツ系民族への迫害(そのような事実はなく、せいぜいが禁酒法の施行程度である)並びに16箇条の要求に対する無回答を口実に、ポーランドに対する北部、南部、西部の3方面から攻撃をドイツ軍に命令した。ドイツ参謀本部はこの作戦に「白の場合(Fall Weiß)」という秘匿名称を付けて準備していた。ドイツと接する長大な国境線を、薄く浅くしか防衛準備出来なかったポーランド陸軍は、開戦後すぐにドイツ軍に押されて東へと戦線を後退させられた。9月中旬にワルシャワ西方のクトノ市での戦い(ブルザの戦い)に敗れると、戦局はドイツ軍に有利となり、ポーランド軍はさらに自国領の東南部へ後退を始め、ルーマニアとソ連と国境を接するルーマニア橋頭堡に防衛陣地を固持し、イギリスやフランスの同盟国によるドイツ攻撃と救援を待ち持久戦に入る計画であった。1939年9月17日、ドイツ軍の侵攻に呼応し、ソ連赤軍がポーランド東部へ侵攻を開始した。東ヨーロッパをドイツとソ連が分割支配する独ソ不可侵条約の「秘密議定書」を、ソ連が忠実に実行した訳である。ソ連によるポーランド攻撃によって、ヒトラーの軍隊はワルシャワ攻略に集中することができるようになった。ソ連による侵略はポーランドにとっては予想外であった。ポーランド政府は、ルーマニア橋頭堡の防衛はもはや不可能と判断し、全軍に対し中立国のルーマニアへの脱出を命令した。10月1日までにドイツ軍とソ連軍はポーランド全域を完全に制圧した。ポーランド政府は降伏せず、残存する陸軍および空軍の部隊と共にルーマニアとハンガリーへ脱出した。脱出したポーランド軍将兵の多数は、後に西側の自由ポーランド軍に参加し、フランス、フランス委任統治領シリアを経てイギリスで闘うことになる。占領下のポーランドは第二次大戦を通じて、強力な対独レジスタンス運動を展開し、また亡命ポーランド人部隊は連合国に対し多大な軍事的貢献をした。ドイツは1941年6月22日にバルバロッサ作戦を開始し、ソ連占領下のポーランドを奪うが、1944年には反撃するソ連軍に対し、その地をまた明け渡すことになる。ドイツとソ連の5ヵ年以上の占領期間にポーランドの全人口の20%が殺害され、ポーランド第二共和国は事実上消滅することになった。
第二次世界大戦: イギリス海軍の空母カレイジャスがドイツ軍のUボートから攻撃され沈没。
フィンランドのTaisto Mäkiが10000メートル競走で29分52秒6を記録。人類史上初めて10000メートルで30分を切る。
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