身分制度(1)

【身分制度】1

 これも大きなテーマですが、ここではあくまで実際について紹介するにとどめます。

 身分制度は社会階級と一体をなすもので、秀吉によって確立され、家康がそのまま継承し、時代が下るとともに階級間だけでなく、階級内でも更に細かな階級が作られた。

 士農工商といった分け方は儒者によるもので、幕府はこのような分け方はしていないことは既に述べた通りですが、繰り返すと、幕府は「士」と「庶人」の二種に分けた。武士および皇族・公家、あとはその他の庶民。前者は尊く、後者は卑しい「尊卑」という分け方。実に割り切ったものです。

 そもそも、士農工商(および被差別階級)という分け方だと、医者や学者、神職や僧侶など、どこにも属さない人が発生する。医者や学者でも士分に取り立てられた人は武士として分けることができるものの、町医者や私塾の学者は町人(町人というのも元来は店を持つ実業家、社長だけを指し、従業員は町人ではない)。同じ職業でも、士と庶人では扱いが全く違う。

 このように、身分制度といっても実際には簡単に割り切ることも分類することもできませんが、以下、それについて見てゆきます。

 「士」も「庶人」も中国古代からの分け方で、孔子の論語でもこのような分け方を前提として述べられています。論語はあくまで「君子」のためのもの、「子」(し)は「師」であり、「士」です。士のつく言葉としては紳士がありますが、君子は知識と教養があり、さらに人の師表となって世の中を治め、指導する者。孔子もそういう人のために政治を説き、人の道を明らかにした。孔子や儒教は差別を是認していると言われるのもこのような前提および漢代に国教として支配者の具となったことなどによるものですが、人の道は世の中をどう生きるか、悩みにはどう向かえばいいかなどいろいろな知恵を授けてくれることから、修養の本として広く読まれてきました。

 徳川幕府は儒教倫理を為政の要諦としたことから、この世には士と庶人しかないという分け方をし、士は政治および軍事に責任を持つかわりに、庶人は年貢などを納めることで平和を享受する兵農分離を実践した。徴兵制がないわけです。但し、道や橋の改修などの夫役(肉体労働)は農閑期に課せられたので、本業、家業に専念できたわけではない。しかし、戦乱になっても庶人は兵士として駆り立てられることがないことは保証された。でなければ年貢を取るのに納得できる理由がなくなるわけですが。

 幕府は朝廷から委託されているという建前で、そのために公家が第一、その次に武士、以下、神主、僧侶、医師、学者、農民(漁師や木こりなども含む)、職人、町人、「エタ」「非人」といった序列を作った。この他に浪人や「乞食」など、いずれにも属さない者もさらにいます。

 町人を下層に置いたのは、農民や職人たちは生産をし、汗をかく尊い存在であるのに対し、商人は汗をかかず、人に物を移動させて、自分のところにはカネが転がり込む、けしからぬ奴ということでわざと卑しめた。これはもちろん偏見で、物流を担う人がいなければ、武士は年貢米を大坂堂島の蔵屋敷に自分で運んで換金することなどとてもできない。しかし、江戸初期はまだ世の中が戦国の遺風が強くあり、農民(領民)らを身近に感じることはあっても、次第に台頭してきた商人たちに対しては警戒心が先に立ち、押さえつけることに躍起となった。やがてカネがもの言う世の中になると、商人に頭が上がらなくなる状態になりますが、それはまだ先のこと。つづく

過去の出来事

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