1897年9月11日
1897年9月11日 明治30年
【内 閣】
総理 松方正義(第2次)/外務 大隈重信/内務 樺山資紀/大蔵 松方正義/陸軍 高島鞆之助 /海軍 西郷従道/司法 清浦奎吾/文部 蜂須賀茂韶/農商務 大隈重信/逓信 野村靖/班列 黒田清隆
内閣書記官長 高橋健三/法制局長官 神鞭知常
【元 老】
黒田清隆 伊藤博文 山県有朋
陸軍兵器廠条例公布。
陸軍兵器廠(りくぐんへいきしょう)は、大日本帝国陸軍の機関の一つ。兵器・弾薬・機材などの補給、要塞の備砲工事を担当した。日清戦争後の軍備拡充に対処するため、1897年(明治30年)9月、従前の砲兵方面本署・支署を廃止し陸軍兵器廠が創設された。陸軍大臣隷下の本廠を東京、大阪、門司、台湾の4箇所に設置し、各管区内の師団司令部・台湾守備混成旅団司令部・要塞などの所在地に支廠を置き統括した。1903年(明治36年)5月、四つの兵器本廠を東京の兵器本廠に統合し、支廠を師団司令部所在地、門司・台北に置き、要塞所在地の支廠は業務を要塞司令部に移管し廃止した。1918年(大正7年)6月、師団司令部・台湾総督府・関東都督府に兵器部が設置されたことに伴い、師団司令部等所在地の支廠を廃止し6支廠とした。また、1932年(昭和7年)8月、要塞の備砲工事業務を陸軍築城部に移管。1940年(昭和15年)4月1日、兵器廠と陸軍造兵廠を統合し新組織の陸軍兵器廠となり、新設の陸軍兵器本部の隷下となった。また同時に兵器支廠を兵器補給廠と改称した。
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