町奉行(10)
【町奉行】10
瓦版について。
瓦版や錦絵、その他人気ランキングの元祖ともいえる各種番付物などのような紙一枚に印刷した摺り物については、書物と違って読み捨ての性格が強く、基本的には重版もされず一度摺ったらそれきりで、庶民の好む下世話なものといったことから、販売前に奉行所へ届け出るといった決まりはなかった。新聞の嚆矢といっても、瓦版は火事や地震、洪水などの災害と、町中で起きた事件や事故などの三面記事が大半で、幕閣の動きや為政者の言動を報じるといってもその情報を得る伝手がなく、ご政道に関してはタブー視されていたこともあって、検閲するほどの内容はないといったことから瓦版は勝手といった態度でした。もちろん、勝手といっても内容が辛辣だったり過激であれば処罰の対象になりますが。
↑これはアメリカから将軍に蒸気機関車が献上されたことを伝えるもの。政治関係でもこのようなものは幕府の宣伝にもなるし、なによりも火や煙を噴いて動く物体は見た事もないため、大いに世間の関心を集めました。
瓦版は版画と同じで、桜などの木の板(版木)に彫って印刷します。瓦版は速報性が第一なので(だから、内容に誤りも多い)、何か起きると半日から1日のうちには配られる。つまり、こういった瓦版の版木は僅か数時間から半日程度のうちに作られる。絵だけでなく、文字もすべて彫ったもの。今の版画のプロでもこれだけの短時間で製作するのは不可能だそうで、この素早く彫る技術は昔の彫師たちのほうが凌駕しています。数十、数百ページある書物もすべて手彫りによるもの。このような視点で昔の印刷物を改めて見ると、ただもう驚かされるばかりです。
下は女性による仇討ちを報じたもの。仇討ち自体、世間の関心を集めるものですが、女性がやったということは現代同様驚きの対象です。
仇討ちといえば赤穂浪士。吉良邸討ち入りを報じた瓦版も翌日にはもう出されたそうで、版木製作の速さを物語っています。ちなみに、のちに作られた忠臣蔵における忠義の武士道と違い、討ち入り当時は討ち入りそのものに対して世間は驚き、主君の仇を討つのは家来として当然、あっぱれ、といった評価が出てくるのは後になってからです。士道といった言葉はあったものの、武士道というのは明治になってから後付けされたものであることは何度も紹介したとおりです。つづく
0コメント