町奉行(9)

【町奉行】9

 祭礼や花見など、大勢の人で混雑して、ケンカだのスリだの酔っ払いだのといった迷惑行為がつきものの場も町奉行の管轄で、同心らが見廻りをします。「火事と喧嘩は江戸の華」と言われるようにケンカはよくあった。いつの時代にも気の短い者、始終イラついている者、欲求不満な者はいるものです。ちなみに、正しくは「火事と喧嘩は江戸の恥」と言うのだという説があります。火事は不可抗力で起きることが多く、恥と言い切ることもできませんが、ケンカは見苦しく、恥とするのは得心がいきます。

 今は都区内の飛鳥山、将軍吉宗が庶民のいこいの場として大和の吉野から桜の苗木を取り寄せて桜の名所とした所ですが、当時は江戸の市外であり(西ヶ原村=郡)、こういう所は代官の管轄でした。代官は勘定奉行の支配。なので、町奉行は関わりません。代官というと時代劇の悪役の最たるものとして有名ですが、もちろん実際にはワルはごく一部で、良くも悪くも上意下達、ソツなく任期をこなして栄達をはかる事なかれ主義の典型でした。代官は幕臣で天領を代行して治める者と、各藩で藩主から委託されて藩内の辺鄙な農村部などを管理する者がいました。代行する官だから代官。

 書物について。今のように版権というものはなかったものの、出版に際しては許可は必要。原稿ができると奉行所に届け出て、奉行所から昌平坂学問所へ回して書物改めを受ける。幕府による検閲です。検閲というと重苦しい感じですが、徹底した検閲による弾圧は江戸初期(これは法体系そのものが確立しておらず、徳川家の成り立ちを書いてはならぬ、といった乱暴なものだった)を別とするとむしろ明治以降が激しく、官憲により小林多喜二のように虐殺される事例まで起こったことはご案内のとおり。

 江戸の中期から幕末までは、庶民もなかなかしたたかで、許可が出そうにもないものはわざと届け出ず、大量に刷りためて三都などおもな土地の本屋にあらかじめ配っておき、決めた日に一斉に売ってしまうといった荒っぽいことをしました。当時の本屋は出版と販売の両方をやり、店によっては古書も扱った。そのかわり、経書(けいしょ)などのハードな教養書を扱う店と、庶民が好む読本(よみほん)や錦絵などを扱う店は別で、いかがわしいものは後者で売った。委託されて販売した程度では罪にならず、ただ在庫の当該書あるいは絵が没収された。版元は版木没収、作者は手鎖や科料に処せられるものの、作者不明としていることがよくあり、奉行所では、わいせつな本などはしょせん下賤な者たちの好むものとして、あまり穿鑿しなかった。これも当時の建前と実際の違いがよく出ている部分です。幕末になり、海防(国防)を論じた書物などで弾圧が厳しくなったものの、これも限られたことで、出版全体に関しては窮屈な現代よりものびのびしたものでした。

 版権という明確なものがなかったのは、大名や藩で発行したものは畏れ多くて勝手に複製、海賊版を作れないし、庶民で出したものはよほど人気のある作品でもなければ重版も莫大なカネがかかるため、わざわざさんなことをする者がなかったからです。馬琴のような超売れっ子の本は偽版が作られたものの、幕府はそもそも版権という保護策をとっていないので、訴えがあっても罰するための法令がないし、作者でもことさら訴えることはしない。黙認、放任といったところです。個人の権利についての意識がまだ低かったことから、権利を守るという意識もなかった。とにかく、幕政批判に限って常に目を光らせ、これ以外はエロであろうが構い無し。春画、春本が大発達したのもむべなるかな、です。つづく

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