町奉行(8)

【町奉行】8

 人が大勢暮らす場所ではなにかと問題も多く、それは基本的に現代と変わりません。

 たとえば露店。屋台や、ゴザなどを敷いて物を販売したり修理したりする江戸時代に盛んとなった移動式の商いです。どこでも勝手に出していいというわけにはいかず、その土地の地主に断らなければならない。いいとなれば道端で店を出すものの、道幅を多く占領すると通行の邪魔になるから、見廻り同心が見て、これは邪魔だと判断すれば注意したり退去を指示する。道をどれだけ使用するのはよく、それ以上は違反といった具体的な規則はなく、道の広さや通行人の数などにより、適宜判断します。天ぷらや寿司ももとは屋台で販売した軽食です。

 湯屋の行き帰りに裸体のままだとお上がうるさいから、肩に手拭をかければ服を着ていることになるのでそのようにした、とよく言われます。まだ荒々しい気風が漂っていた初期の頃は服装をかまわない荒くれ者もいたようですが、中期以降はそういう者もなく(江戸市中を描いた浮世絵や図会を見ても、湯屋帰りらしい裸体の男は見られない)、もし裸体で歩けば取締りの対象となったほどです。こういうのも奉行所の管轄。

 町奉行は知事でもあることから、今の条例と同じ市中を対象とした法度を出すことができました。あくまで市民が対象のもので、武家や寺社も関係する場合は目付に相談し、老中の裁可を得る必要があった。社会全体が円滑に暮らしよくするための法令ならだいたいは認められたようです。

 頭巾がその一つ。時代劇でもわかるように、当時は武家から女中まで頭巾を被ったものです。もともと強姦が多かったこともあり、女性がやむなく夜歩く時に常用したもので、男性は貴人程度。男性の場合は笠がいろいろあったので、顔全体を覆う頭巾はあまり使わなかった。

 しかし、顔を隠して悪事をするには好都合なことから(今の目出し帽がそれ)、次第に下っ端の家来や浪人まで被るようになった。こうなると人相風体が分からないために、奉行から老中へ禁止したい旨上申し、裁可されています。

 下の絵は「江戸名所図会」より、十軒店雛市(じっけんだなひないち)。頭巾を被った者、裸体の者はいません。この絵に限ったことではなく、同様のものはすべてこんな状況です。つづく


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