町奉行(7)
【町奉行】7
町奉行は庶民を管轄するため、武家で乱暴な者、態度が悪い者がいて庶民に迷惑をかけていても、捕り方である同心がただちにお縄にすることはできなかった。これが身分社会です。
しかし、江戸時代は厳格な建前とともに、融通の利く実際の部分があり、武士といえども時にはお縄にされることがありました。
帯刀の武士はお縄、つまり逮捕はできない。しかし、番所(自身番)にて姓名および事情を聴くことはできます。武士の取り締まりは各大名が設置した辻番が担当したものの、これとて他藩の武士を勝手に捕縛したり拘引することはできない。武士がなぜこのように優遇されたような扱いになっているかというと、武士は偉いから、特権階級だから、ということもあるものの、武士は庶民と違い、乱暴狼藉、ふしだらな事はしないもの、という大前提があり、武士に悪人はいないのだから取り締まる必要もないという考えでした。とはいえ、現実には武士も人。盗みもすれば人への殺傷もする。酔って暴れる者もいれば、女性にちょっかいを出す者もいる。江戸初期は無法状態で、強姦は日々発生していたほど。
参勤交代で藩主につき従って江戸に滞在する勤番武士は、家族を国元に残して単身で江戸の藩邸にある長屋に入ります。基本的には数人の相部屋。仕事は藩主が江戸城に登城する時の警護ぐらいで、ほとんどすることがない。江戸に不慣れな者が多く、遊ぶといってもカネはかかるし、夜は外出が禁止されているために男ばかりのむさ苦しい所に閉じ込められる。故郷の家族や友人らとやりとりをするといっても手紙だけで、江戸から遠い藩ほど往復に時間がかかる。まじめに書見(読書)や武芸に励むのは上級の者や事務官たる役方ぐらいで、頭より体の番方は鬱々として酒をくらったり、ご法度の賭場でバクチをやったり、時には開帳したり。それぐらいしかすることがない。イライラが募り、酔って暴れたりケンカをする。足軽以下の者が特に多かった。参勤制度の負の部分で、これがために武士に対する取り締まりも必要なのでした。
武士は捕縛できないとはいえ、刀を抜いて振り回したり、通行人に斬りかかるといった事態になれば、これは捨てておけない。こういう場合は町方でも取り押さえてよいことになっています。この場合、「奉行なんのなにがし様の命により、御用につき縄をかける」と同心が断って捕縛します。今、警官が逮捕する時に罪状と時間を言いながら逮捕するのと同じ。ただ黙ってお縄にすることはできません。
自身番に留置し、そのまま藩に引き取らせるか、奉行所に連行して更に吟味するかを決めますが、この時は縄ははずします。が、なおも暴れたり悪態をつき続ける場合、つまり神妙にしない場合は縄をかけるものの、この時は同心ら奉行所側が悪いというのが当時の認識で、このあたりは現代人とは異なります。
江戸のようにさまざまな藩、大名がひしめく場では、家臣の悪行はすぐに広まり、外聞が悪い。時代劇では悪態をつく家臣に町人たちは泣き寝入りというのが定番ですが(正義の味方がやがて始末してくれるが)、実際は町人に対してよりも他の藩、それに幕府に対して悪評判がたつのを恐れ、耳が痛くなるほど「外に出るな、出ても用事を済ませたらさっさと戻れ」と説教する。これが家臣らにとってはうるさく、欲求不満になるので、どうしても素行の悪い者が出る。悪循環ですが、人目を気にする国民性の一端は、こういうことで作られたのかもしれません。続く
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