町奉行(5)

【町奉行】5

 奉行所といえばお白洲。今の法廷です。時代劇のような白洲は実際にはなく、通常は吟味与力が担当するので小さな白洲あるいは土間で、いずれも室内。奉行がお出ましになる大きな白洲も屋根つきで、露天構造ではありません。

 本格的に取り調べる事案では奉行が出るものの、初回と罪科申し渡しの最後の時だけ。それ以外の訴訟事は吟味与力が調べ、申し渡しもしました。とにかく数が多いから、奉行所に1人しかいない奉行がすべてに出席するのは不可能です。

 重要な事案や与力がまだ若くて経験不足の場合などは、内聴所といって、与力の後ろの部屋から障子越しに聞くことがありました。日本の家屋は聞き耳を立てるには好都合ですね。

 砂利を敷き詰めた白洲にしたのは、白は神聖な色とされたこと、白黒をはっきりさせることを表わすといったことのようです。

 当時は刑事事件で明確な証拠があっても、自白がなければ罪を決することができない決まりでした。当然、凶悪犯ほど認めない。そのため、痛み責めといって、白洲で拷問をして白状させることがありました。

これは狭い方の白洲(室内)での拷問の様子。石抱きと言われるものです。これにかけられる者はよほどの者で、誰も彼もこんなことをされたわけではありません。また、通常は拷問の道具を見せて、「白状しないとこれにかけて痛い目にあうぞ」と脅す。これだけで震え上がって、「恐れ入りました」と認める者が少なくなかった。しかし、意地でも認めようとせず、こんなものは平気だという剛の者になると、「それ、石を抱かせろ」となる。

 拷問は藩ごとにいろいろあり、中には激しいものを見境なくかけた藩もあるものの、さすが天下の幕府、拷問も幕法が定められ、やり方が細かく規定され、医師立会いのもと、被疑者の状態を常に見ながら、これ以上は危険だという場合は直ちに取りやめとするといったように決めてありました。

 ちなみに、幕法における拷問とは下の図解にある4種類に限定されており、これ以外は禁止されていました。たとえば水牢といった戦国時代に盛んに行われたものも幕府は禁止しています。が、外様の藩の中では盛んにやった所もあり、ずいぶん責め殺されています。藩は幕法の及ばない所であり(藩主は参勤によって幕府の公務に協力する身ですが)、閉鎖的だったり時の藩主が暗愚だと、ずいぶん圧制が行われました。江戸時代を暗黒とするなら、むしろこういう部分がそう言えるでしょう。逆に、幕府の直轄地=天領のほうが圧制もなく、比較的穏やかでした。


 4種の拷問のうち、海老責めが最も危険なもの。被疑者を図のように縛って放置するだけですが、たちまち血のめぐりがとどこおり、顔面は蒼白になり、呼吸困難になって、それでもこのままにしておくと最後には死んでしまうものです。あとの3つは痛いものの、これでただちに死ぬことはありません。海老責めは他の3つのうち最もきつい石抱きをしてもなお認めない者に対して加えられました。いきなりこれにかけることはしません。

 傑物の将軍吉宗は拷問の廃止を断行しましたが、その拷問とはこの4種のことです。自白の強要は冤罪の温床となるといった近代的な思考があったわけではなく、むしろ徳治主義を掲げる幕府がこのようなことをするのは恥ずべきことだといった気持ちがあったようです。凶悪犯を出すに至ったのもご政道が充分ではないからだ、といったこと。そのために目安箱を設置して民の声を聴くことに努めた。すべては一貫しています。つづく

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