町奉行(4)

【町奉行】4

町奉行の正装。(画像は下にあります)どちらも長袴(ながばかま)姿で、これは江戸城内で必ず着用するものです。左の肩衣(かたぎぬ)姿は通常の執務の時の服装、右の大紋烏帽子姿は月次拝賀(つきなみはいが=月3回の定例の朝会)をはじめ、将軍に謁見する際の礼服です。奉行所では肩衣姿ですが、袴は短いものを着用。刀は小刀(ちいさがたな=脇差。しょうとう、とも)のみ。

 町奉行は幕臣で旗本。お目見得(おめみえ=将軍に直接会うことを許された者のこと)ですが、将軍にいつでも会えるわけではなく、他のどの立場の者もすべて同じですが、会う必要がある時は前もってその旨を伝え、許可が必要です。時代劇では大岡越前と将軍吉宗がプライベートでよく会っている設定ですが、たとえ抜擢した奉行でも、将軍への謁見となると容易ではありません。まして将軍が市中を闊歩し、奉行の役宅へ遊びに行くなど全くないことで、将軍は1日のスケジュールが細かく決められていて、それをこなすのが務め。私的な外出は許されていません。

 町奉行は朝10時に登城し、執務室である芙蓉の間に入り執務。ここでは幕府の仕事をします。評定所のメンバーであるので、評定所での案件を処理し、必要に応じて老中に会い、評定所で評定が開かれる時はそれに出席する。午後2時に奉行所に戻る。登城の前後は奉行所での仕事があり、これが文字通り山のような量。江戸時代は訴訟社会で、年間およそ35000から40000件もの訴訟が持ち込まれています。幕末になるにつれて更に増加。時代劇では、奉行所の門前に棒を持った門番がいて、町人が近寄るだけで追い払う恐い場面がお馴染みですが、実際は毎日大勢の町人、農民らが町役人らとともに訴状を提出したり裁きを受けるために出入りしており、今の役所や裁判所よりも身近で人の出入りが激しい所でした。カネを貸したのに返してくれないと言っては奉行所に訴え、亭主が働かずにバクチばかりしていると言っては妻が訴え、捨て子があったといってはどうしたらいいか相談のため行き、訴状や裁判の記録がたくさん残されていますが、それを見ると現代と全く変わらぬ民事ばかりです。もちろん殺人や強盗、放火など刑事も。町奉行は民事と刑事両方を担当したから、なおさら激務です。

 町奉行といっても、対象は町人、農民、職人といった庶民だけで、武家と寺社は管轄外。武家は、幕臣は勘定奉行、寺社は寺社奉行の担当で、藩については基本的にはそれぞれの藩で裁き、藩以外の者が関係する場合は評定所で裁いた。江戸のようにさまざまな属性が集まり、複雑にからみあっている所では司法担当が誰になるのかも問題になることが少なくありません。ちなみに、藩内のことは幕府は不介入ではあるものの、藩から幕府への届け出は必要でした。こういう事があり、このように決着させたので報告します、といったもの。しかし、額面通りに受け取れない怪しいものもあり、こういう事のためにも目付が必要なわけです。つづく

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