町奉行(3)
【町奉行】
大岡越前や遠山の金さんなど、時代劇を見ていると、お奉行が常にお白洲へご出座あそばして裁きをつけるように思ってしまいますが、お奉行はよほど重大な犯罪や案件でない限りは出て来ず、多くは吟味与力が担当します。
同様に、町人の最上級と言っていい町名主が裁きをつけてもらおうと奉行所へ行っても、お奉行が直々に会うことはありません。まず与力が調べ、事の仔細を奉行に報告して、会う必要があると判断されれば、「いつ何日に御席を願うから、その日に出頭すべし」となる。至急を要する場合でも与力が調べ、後日判断することに。江戸時代も中期以降になると何事も手続きと順序が第一となり、それを無視し、省略したり事後報告といったことは許されず、万事書類を整えてからということになった。それだけ法治の観念が徹底したということでもあるわけです。
与力と同心の中間に目安方(めやすがた)というのがいて、これは奉行の用人と同格です。受理した訴状はまずこの目安方が調べ、与力に回して本格的に調べます。複雑な事案だと与力では判断がつきかねるため、まず奉行が原告と被告双方を呼び出し、それぞれの言い分を聞き、与力から状況の説明を受けます。しかし、奉行はあくまで聞くだけで、このあとは担当与力を選任し、その者に任せます。江戸時代は暗黒社会と言う人がいますが、なにも一回の審理、即決裁判で決めてしまったわけではなく、慎重かつ丁寧に事を進め、書類を整えて裁決を言い渡した。
言い渡しは奉行自身が行うものの、与力が吟味してもなお判断できない場合は、「私にはとても手に合いませぬゆえ、今一度、御直(おじき)に御調べ下され」と奉行に伺いを立てる。その場合は再度奉行が双方に問い質し、与力に回す。あくまで奉行自身は裁決しません。今の裁判所が、判決文は左陪席の裁判官が作成し、裁判長はそれを読み上げる仕組みと似通っています。
また、吟味をしてゆくうちに、原告ないし被告が与力の縁者であることが判明することがある。こうなると公正な吟味、判断ができないため、担当から外すよう奉行に願う。これも今の裁判制度と同じです。今では当たり前のことでも、これが当時すでに行われていたことはもっと評価されてよいことでしょう。
北町奉行所で出された裁決を不服として、改めて南町奉行所へ訴え出ても、これは取り上げなかった。逆も同じ。場所と人こそ違えども、両者合わせて町奉行なので、南北どちらの係であろうと、そこで出された裁決は町奉行の判断なので、それで終わりでした。
事情によっては上告の道があります。上告というのは正確ではないですが、町奉行の管轄外のことが絡んだり、町奉行が判断するのは適当ではない場合、評定所であらためて取り上げ、吟味します。評定所は基本的には武士を対象とした上級裁判所ですが、複数の管轄にまたがる事案や、重大犯罪などは庶民であってもここで扱いました。例えば、原告は江戸の町人だが、被告は他藩の農民であるといったように、属性が異なるとどちらかの奉行所で扱っても不公平となるため、江戸の評定所で取り上げました。つづく
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