1923年9月2日
1923年9月2日 大正12年
山本権兵衛が22代内閣総理大臣に就任し、第2次山本権兵衛内閣が発足
8月24日の加藤友三郎首相の急同年9月1日の関東大震災発生という混乱状態のさなかで組閣された。12月27日に発生した虎ノ門事件の影響で総辞職した。関東大震災の発生時9月1日現在、首相は空席であった。そこで、震災発生直後に摂政宮(後の昭和天皇)の招請により、加藤友三郎内閣で外務大臣であった内田康哉が臨時首相をつとめ、水野錬太郎内務大臣と赤池濃警視総監が当面の責任者とされた。翌9月2日午後3時に臨時閣議により、臨時震災救護事務局の設置がとりあえず決まった。一段落した午後5時に摂政よりの認証により山本内閣が成立した。大臣と次官に錦城学校(現・錦城学園高等学校)の出身者が5名(伊集院彦吉外相、井上準之助蔵相、山之内一次鉄道相、小松謙次郎逓信次官、財部彪海相)いたため、「錦城内閣」とも呼ばれた。
総理大臣 山本権兵衛
外務 山本権兵衛(兼任)(9月2日 - 9月12日)/伊集院彦吉(9月12日 - 1924年1月7
日)
内務 後藤新平
大蔵 井上準之助
陸軍 田中義一
海軍 財部彪
司法 田健治郎
文部 犬養毅
農商務 田健治郎
逓信 犬養毅
鉄道 山之内一次
内閣書記官長 樺山資英
法制局長官 松本烝治(9月19日 - 1924年1月7日)
幾つかの文献で元帥となっている場合があるが、山本が元帥だった事実は無い。「ごんべえ」「ごんのひょうえ」二つの読み方が通用しているが、有職(ゆうそく)読み以外で名の読み方が二通りある日本の首相経験者には他に近衛文麿(「あやまろ」「ふみまろ」)の例がある。山本も近衛も、本来の読み方である前者が体裁が悪いため別の読み方をさせた。
関東大震災の混乱の中で「朝鮮人が暴動を起こす」とのデマによる迫害・虐殺が始る。
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