町奉行(1)

【町奉行】

 続いて町奉行についてです。

 町奉行は幕府の職制の一つで老中の支配。江戸、京都、大坂および駿府に置かれ、江戸町奉行については「町奉行」、他は地名を冠して「京都町奉行」といったように称しました。京都は京都所司代、大坂と駿府はそれぞれ城代も支配しましたが、城代と町奉行は直接の関係はありません。所司代、城代も老中支配です。幕府直轄地(天領のうち重要な所)に置かれ、これ以外にも各藩でも独自のものが設置されています。

 以下、江戸町奉行について紹介しますが、他の地区の町奉行もおおよそこの通りです。

 町奉行は定員2名で、奉行所は2か所。北町(呉服橋=今の東京駅そば)および南町(数寄屋橋)で、初期にはそれぞれ別の場所にあり、移動してからその位置関係で名称が南北に分けて呼ばれるようになったものです。南北は管轄の違いを表わすのではなく、奉行所の場所を示し、管轄も職掌、権能もすべて同じです。町奉行は今の東京都知事(行政)・東京高裁裁判所長官(司法)・警視総監(警察)・東京消防署長(消防)の4つの長を兼ねたもので、大変な重責を担っています。もちろん激務。そのために2人置いて、月番制で1人ずつ1か月交代にして職務の軽減を図りました。非番の月も事務や内偵などの仕事はあり、ただ訴訟など窓口業務は行わないということ。部下もそれぞれ別です。

 部下について。

 直接の部下は内勤官僚の与力、その下に現場で捜査などをする同心があることはすでに紹介しました。同心が現場を担当し駆け回るのは大変なので、私費で手足となる部下の目明し(岡っ引き)を雇った。時代劇でお馴染みですね。庶民のことからならず者たちの心理まで熟知しているほうが使いやすいために凶状持ち(前科者)が多く採用され、そのためによく問題を起こし、幕府ではたびたび目明し禁止令を出したものの、これも形式的で、いないと困ることから、同心たちはひそかに雇い、奉行も見て見ぬフリをした。目付と違い、こういったことはかなり融通が利いたものです。

 時代劇では目明しが十手(じって)をちらつかせて町人たちにいばる姿がお馴染みですが、これは完全な誤り。目明しは普段は十手の携帯は許されず、奉行所の手先ということを示すものはなにも持っていません。もちろん身分証もない。十手は犯人逮捕(捕り物)のために出動する時にのみ貸与されるもので、それが済めばただちに返却しました。十手は奉行以下奉行所役人すべてが持ち、身分の高い者の十手は房のついた豪華なもので、同心以下は飾りのない質素なものです。大相撲で行事が使う軍配がかつての十手と共通する部分がありますね。三役挌の軍配とそれ以下の者の違い。つづく

過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。