目付(4)

【目付】

急養子判元(きゅうようしはんもと)について。

幕府の規則では、実子のない者は家督相続をさせないことになっていました。子がないのだから相続する者がいないのは当たり前です。しかし、この規則を厳格に施行すれば断絶する家が増える一方、存続する家が次第に減る。当の将軍家でさえ、5代綱吉をはじめ実子のない将軍がいて養子によって糊塗するケースが続くのだから、偉そうなことは言えなくなった。

そこで、当主が生前に養子に相続させたり、その意志を明確に示し、具体的な相続者を届け出ておけば許されることになりました。届け出をすると、目付が当主に確認をします。当主本人の意志でなければだめ。

しかし、養子の手続きをしようという矢先に当主が亡くなる事例もある。この場合、後継ぎの養子はまだ決められていないわけだから、規則からいえばお家は断絶となる。そうなると家臣たちは浪人、無職の身となり、影響が大きい。幕府にとっては、浪人は不満分子となり、倒幕に動いたり、あるいは無法集団となって悪さをする恐れがある。こうなると世間の幕府に対する目も厳しくなるので、幕法は曲げられないが、運用の面で工夫することにした。

毎度申し上げるように、当時は規則は厳しいものの、運用によってかなり緩くなるのが常。さらに三日法度(みっかはっと)という言葉も出来たように、達しが出されても守られるのはごく短期間。いつの間にか無視され、取り締まる側も黙認、放任する。現代でもありますね。例えば、危険だからと傘をさしての自転車走行を取り締まるようになり、施行当日からしばらくはテレビでも警官が注意する様子を報じていたのに、今ではまた傘を差しての走行が元のようになり、注意したり取り締まる者もいない。どこかにいるのかもしれないが、そういう話は聞かない。江戸の昔もこんな状態でした。

当主が急逝した場合、まず家臣たちは家督相続の手続きを幕府に願い出ます。幕府では当主が亡くなったことはすでに把握しているものの、わざとそれは言わず、目付を派遣して意志の確認をします。当主の亡き骸は寝ているようにしておき、手前に屏風を立てておく。目付は万事わかっているから、わざと当主の姿を見ようとしない。

当主の親類の代表が、「このたびそれがし大病につき、何の誰それを養子とし、この者に家督を下さるように願い上げ奉ります」と屏風の向こうから当主のフリをして願い上げ、家臣が由緒書きなどの書類を目付に差し出す。この際、当主の花押が必要ですが、起き上がることもできないということであれば実印でもよいので、実印を捺してごまかす。目付は実印の捺された書類を受け取り、これで養子縁組、および家督相続の手続きは完了となり、江戸城に戻って老中に報告、手続きは問題なく行われ、養子は家督を相続するにふさわしい者として裁可が下りる。累が大勢に及ぶ事ほど融通を利かせたわけです。もし、堅物の目付が屏風を取っ払い、布団をめくって「なんだこれは! 何々の守殿は亡くなっておられるではないか!」と言えば、この時点で当主は養子も相続者もないまま逝去した=家名断絶、となってしまう。更に、ここは事を荒立てず、お膳立てされたままに従うのが目付であるのに、死亡を確認してしまうと、事を荒立てたとして譴責を受ける。目付にも家族親類家来が大勢おり、処分されると影響が大きい。このように責任が大きいために、なるべくこのような件では型通り済ませようといったことが中期以降当たり前のようになりました。江戸初期は万事厳格だったから取り潰された家が多かったものの、次第にとにかく誰でもいいから継がせろといった風潮が強くなり、運用のほうが規則を上回るような状態になりました。つづく

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