目付(続)
※昔(特に江戸時代)に関する雑話です。長らく別の場で連載してきましたが、本日よりこの場にて続けさせて頂きます。
【目付】
目付は夜の城内の見廻りも仕事の一つです。
宿直当番の目付が今で言う残業の武士(ほとんどが高官。ヒラは時間になればよほどのことがない限り残らなかったし、残ってはいけなかった。今の日本、どうしたのでしょうね)たちが帰ったであろう頃合いを見て、将軍の居る奥の区画へ入ります。側近の側衆が出てきて、残らず退出したことを知らせる。目付は直ちに部署ごとの詰所へ城内に宿直の者以外は誰もいないことを告げて回る。放送設備がなかった当時はこのように触れて回ったから大変です。各詰所に居る武士たちもそれぞれの宿直当番です。
続いて、目付は自分の部屋に戻ると肩衣と袴を脱いで黒紋付に着流しの姿(時代劇の同心のような姿)となり、大小二本の刀を差し、徒士(かち)目付に提灯を持たせて、城内の見廻り。時代劇では女中(腰元)らが薙刀を持って「お火の番、相回ります~~」と言いながら巡回する光景をよく見ますが、大奥ならいざ知らず、男たちの世界で女性たちが夜中に回るなど無謀の沙汰。
巡回が済むと、玄関の広縁(ひろべり)の所で徒士目付が大きな音でドンドンと板の間を足踏みをして城内の宿直の者らに知らせます。巡回が終わり、誰も残っておらず異常なしという意味です。
続いて外へ出て、警備役の徒士、書院番らの詰所の前を通る。番所では当番役らが正座して並んでいます。
門の所へ行くと、門番が「御別条はありませぬ、一同帰りました」と報告。門番はただ突っ立っているだけでなく、入った者、出た者を逐一記録しています。入ったきり出て来ない者がいると、その者は不審者となる。今の日本国の首相官邸では、入館者の記録をとってないとか、記録は廃棄したなどと言っているようですが、事実であればこれほど怠慢で杜撰で世の中を馬鹿にしている態度はないわけで、愚劣な者がトップに就くと、全体もこれだけ腐るのかと呆れます。もともとこうだったわけではなく、疑獄の関係者が足繁く通っていた証拠ゆえに消すしかない。証拠隠滅。
門番の報告を受けて、目付が「閉めろ」と言い、ここではじめて門が閉められ、施錠されます。こういうことも目付の職務です。
再び城内に入ると、今度は台所へ行き、翌日の朝と昼の献立書きを調べます。さらに提灯奉行が蝋燭の数を報告。蝋燭は貴重品で高価なために城や高官の武家屋敷、大店ぐらいしか使いませんが、よく倒れて火事になるため、管理は厳重です。今ともっている蝋燭は何挺あるか、どの部屋にいくつあるか、廊下はどこに置いてあるかなどを把握しておく必要があります。決められた数以上につけることは違反です。
最後に茶坊主から「別条ございませぬ」と報告を受けて見廻りは終了。夜の8時すぎ頃になります。残業といってもいつまでもいていいわけではなく、残業の刻限もある。但し、城の住人である将軍は別で、将軍は残った仕事を片付けなければならないので、深夜あるいは夜明けまでかかることもザラ。当時は身分が高い者ほど拘束され、責任が重いわけですが、トップこそが最も重労働なのです。うそのように思われるでしょうが、それは今の常識と当時の常識が大きく乖離し、別世界のようになってしまったからです。古いしきたりを残している組織の人ならよく理解できることでしょう。身分や地位の軽い者は決まったことだけをやり、上の者はいろいろ引き受けたり難題に対応する。つづく
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