1939年8月26日

1939年8月26日 昭和14年

【内 閣】

総理 平沼騏一郎/外務 有田八郎/内務 木戸幸一/大蔵 石渡莊太郎/陸軍 板垣征四郎/海軍米内光政/司法 塩野季彦/文部 荒木貞夫/農林 櫻内幸雄/商工 八田嘉明/逓信 田邊治通/鉄道 前田米藏/拓務 小磯國昭/厚生 廣瀬久忠/班列 近衞文麿/内閣書記官長 太田耕造/法制局長官 黒崎定三

【元 老】

西園寺公望

【宮中主要官】

内大臣 湯浅倉平/宮内大臣 牧野伸顕/枢密院議長 近衛文麿/枢密院副議長 原嘉道

【軍部高官】

[陸 軍]

陸軍次官 阿南惟幾/軍務局長 武藤章/参謀総長 杉山元/参謀次長 沢田茂/教育総監 河辺正三(取扱)

[海 軍]

海軍次官 住山徳太郎/軍令部総長 伏見宮博恭

【植民地高官】

朝鮮総督 南次郎/台湾総督 小林躋造/関東長官 梅津美治郎/樺太庁長官 棟居俊一/南洋庁長官 近藤駿介

【東京】

府知事 岡田周造/市長 頼母木桂吉


大阪毎日・東京日日の国産機ニッポン号、世界一周のため羽田出発。10月20日帰国し成功。

1939年8月26日午前10時27分に東京市蒲田区(現 東京都大田区)の羽田飛行場(現 東京国際空港)を離陸し、下記ルートで55日後の10月20日に帰国した。総飛行距離52,886 km(52,860 kmとも)。世界一周は毎日新聞社(大阪毎日・東京日日)が企画したもので、使用されたのは大日本帝国海軍の山本五十六中将の了承で払い下げられた海軍の九六式陸上攻撃機二一型328号機を長距離連絡運輸機に改造したもので、銃座を取り外し、当時最新の自動操縦機能を備えた旅客機に改造したものであり、三菱式双発輸送機と呼ばれる機体の一機だった。外翼内に1400l入りの燃料タンクが増設されていた、長距離に耐えるように燃料52 klを積み、24時間飛行が可能だった。三菱重工業製で全長16m、翼長25m。巡航速度毎時280 km/h、最大速度400 km/h(500 km/hとも)と推定される。乗員は中尾純利機長・下川一機関士・佐藤信貞通信士・吉田重雄操縦士・佐伯弘技術士・八百川長作機関士に毎日新聞社の大原武夫航空部長を親善使節として加えた総勢7名であった。また、毎日新聞社は本機の飛行に際して壮行歌の歌詞を一般から募集しており、入選した歌詞を元にした楽曲は1939年8月6日に「世界一周大飛行の歌」(作詞:掛川俊夫、作曲:橋本国彦)として発表された。

飛行ルート(地名および国名は現在の名称):東京→千歳→(太平洋)→ノーム→フェアバンクス(米国)→ホワイトホース→シアトル→オークランド(米国)→ロサンゼルス→アルバカーキ(米国)→シカゴ→ニューヨーク→ワシントン→マイアミ→サンサルバドル(エルサルバドル)→サンティアゴ・デ・カリ(コロンビア)→リマ→アリカ→サンティアゴ→ブエノスアイレス→サントス(ブラジル)→リオデジャネイロ→ナタール→(大西洋)→ダカール→アガディール(モロッコ)→カサブランカ→セビリア(スペイン)→ローマ→ロドス島(ギリシャ)→バスラ(イラク)→カラチ→コルカタ(インド)→バンコク→台北→羽田

羽田から千歳まで約3時間、千歳から北太平洋を渡り、アラスカまでの4,340kmを15時間48分で飛行した。

国際親善を目的としたニッポンがアメリカ国内を飛行中に、皮肉にもドイツがポーランドに侵攻し第二次世界大戦が勃発したが、各寄航地では日本移民等により熱烈な歓迎を受けた。飛行後は「暁星(明星とも)」と改名し、毎日新聞が中国大陸との連絡に使ったが、終戦の1945年8月に行った大阪から所沢のフライトを最後に、進駐軍によって破棄された。

過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。