1897年8月12日

1897年8月12日 明治30年

【内 閣】

総理 松方正義(第2次)/外務 大隈重信/内務 樺山資紀/大蔵 松方正義/陸軍 高島鞆之助 /海軍 西郷従道/司法 清浦奎吾/文部 蜂須賀茂韶/農商務 大隈重信/逓信 野村靖/拓殖務 高島鞆之助/班列 黒田清隆

内閣書記官長 高橋健三/法制局長官 神鞭知常

【元 老】

黒田清隆 伊藤博文 山県有朋


東京府農工銀行設立。=農工銀行は、日本全国各地に戦前に存在した、特殊銀行の一つ。農工業の改良のための長期融資を目的に日本勧業銀行(勧銀)を設立するために1896年に日本勧業銀行法が成立する際に、一緒に成立した農工銀行法に基づいて、設立された。農工銀行は勧銀への取り次ぎまたは勧銀と同等の業務を行い、事実上の勧銀の子会社的な存在であった。1900年8月に徳島県に阿波農工銀行が設立されたことで、北海道を除く全府県に一行ずつ設立されたことになった。農工銀行の貸付は長期年賦で元利返済ができるなど、農工業者に有利な面があった。一方で担保となる不動産価格の査定がきびしく、貸付額も過少であり、申し込みから貸出までに時間がかかりすぎるなどの問題点も存在した。1921年に日本勧業銀行及び農工銀行の合併に関する法律(勧農合併法)が制定され、勧銀と農工銀行の合併が促された。佐賀県農工銀行が勧銀に吸収合併された。これをきっかけに全農工銀行は1944年までに勧銀に吸収合併されるようになる(農工銀行の一部には、吸収合併される前に経営破綻したものもあり、結果的に受け皿として勧銀支店を新規設置の上で継承したケースもある)。

過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。