仏像図彙156
【156】金剛吼(こんごうく)
[通釈]
金剛吼菩薩 梵字はカン
(本文なし)
[解説]
これも仁王経の旧訳(くやく)による。眼は三つあり、右手に千宝相輪を持っている。新訳では、方位は東、金剛手菩薩になる。
仁王経の旧訳と新訳を比べると、新訳の方がより国家鎮護の要素が強くなっているといわれる。この点が翻訳者の不空三蔵が重んじられ、出家の身でありながら唐王朝から特進士鴻臚卿等の官職を授けられたのであろう。玄宗皇帝の勅命で鴻臚寺(こうろじ)に住持した。粛宗・代宗に講義して師と仰がれた。
画像は高野山にある紙本墨画五大力菩薩像5幅のうち金剛吼菩薩像。紙背に貼られた江戸時代の修理記から建久8年(1197年)4月に「豊前五郎為広」によって描かれたことがわかっており、作者が判明する貴重な仏画として鎌倉時代の基準作例となっている。
[雑記]
たまたま室町中期の辞書『塵添壒嚢抄(じんてんあいのうしょう)』をパラパラと見ていたところ、「師走」の項目があり、その意味について明解に書かれていました。その部分の原文(画像)および拙訳を以下に載せておくことにします。読みは「しわす」ですが、漢字の表記は「師走」ではなく「師来」となっています。
[六十]師来事(しわすのこと)
△十二月を「しわす」というのはどういう意味で、文字はどう書くか。師走月(しそうげつ)と書いて「しわす月」とよむ。また「師来月(しらいげつ)」とも書く。その意味は、諸寺山の師僧が檀主(檀家、施主)のもとへ行き、一年の祈祷文を記した巻物を届けて回ることによる。年末となり、忙しく走り回るという意味である。
なお、万葉集に「師走にはあわ雪ふると知らぬかも梅の花咲くつつめらずして」という歌があり、「師走」という語は古くから使われていたことがわかります。
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