佛像圖彙121
【121】蛤蜊観音(こうりかんおん)
[通釈]
菩薩身に化現して衆生を済度する。
唐の文宗皇帝の大和五年に出現した。
[注]
唐文帝大和五現 唐の文帝の大和五年(831年辛亥)に出現。文帝は蛤(長安から海は甚だ遠いので乾物或いは淡水の貝類ではとも考えられる)を好んで食した。大和五年の有る時その蛤から菩薩が出現し仏道を説いたとされる。文帝とあるが正しくは廟号の文宗で呼ばれるべき。文宗は英邁だったが宦官に実権を握られていた。
余説
古くから山師が鉛等で作った極小の観音像をイケチョウガイ(淡水に棲むイシガイ科の二枚貝)に入れて養殖し、貝の中から出現したと喧伝し愚民を惑わす事があった。こちらは中唐の「文宗」です。廟号と諡号を取り違えています。文宗は中唐の皇帝で、この御代に最後の遣唐使が入唐(にっとう)しています。(冢堀庵識)
[解説]
蛤蜊観音は、中国の故事より生じた観音で、蛤の殻の中に坐することから俗に「ハマグリ観音」ともいい、唐の文宗皇帝が蛤を食べようとしたが、殻が開かないので香を焚いてこれに祈ると、にわかに観音の姿となった伝説による。室町時代の、蛤の草紙に登場する童男童女が有名。
図は白隠慧鶴画「蛤蜊観音図」絹本著色 早稲田大学 會津八一記念博物館蔵
※千手観音の持物はお休みです。
0コメント