佛像圖彙120

【120】多羅尊観音(たらそんかんおん)


[通釈]

多羅尊観音

或値怨賊繞

[注]

或値怨賊繞 法華経普門品の偈「或値怨賊繞 各執刀加害 念被觀音力 咸即起慈心」(わくちーおんぞくにょう かくしゅうとうかーがい ねんぴーかんのんりき げんそくきーじーしん)(或は怨賊(おんぞく)の繞(かこ)みて、各(おのおの)刀を執りて害を加うるに値(あ)わんに、彼の観音の力を念ずれば、咸(ことごと)く即ち慈心(じしん)を起さん。)に基づく。「繞」は「遶」に作るものあり。


[解説]

 多羅尊観音は、多羅菩薩とも。観音の放つ光の中から生じた仏母とされる 藏傳佛教では殊に尊重される。原型の起源は古く、広範囲の神々と結び着いている。雲の上に立ち、右手は衣裳の中に入れて胸の下、左手はその下に置いた慈母神として崇められた女神。多羅は眼精、瞳を意味し、救いの母と訳されているように、慈母のやさしい眼で衆生を彼岸へ導き、煩悩の苦海より救うという。


[千手観音の持物]4

宝剣手(ほうけんしゅ)


宝剣手 いうまでもなく全ての魍魎鬼神つまり煩惱を断ち切る剣の意味。煩悩はそう簡単に断つことはできないし、それが出来れば苦労はありません。しかし、そういう気持ちを強く持つことが必要で、「明日から」「少しずつ減らしてゆく」などと言っているようではこの先ズルズルゆくだけ。そこで、もう欲を断つのだ、という確たる決意、覚悟を示すことが、まさに剣で断つ姿です。


[雑記]

 上の宝剣の話に関係しますが、寺院によっては縁切り祈願を受け付けている所があります。意外と少数で、人間関係を断ちたいという人は多いはずですが、先日も動画であまり推奨しないというご住持のお話を耳にしたのですが、その理由は明確には話されたくない様子で、結局、仏教はそういうことのためにあるのではない、特に消えてほしい人に咒(まじない)をかけるといったことは邪道であること(すべての人を平等に救済することからしても、相手に酷い目に遭わせるのは宗教者としてできない、とも)、最悪の場合、その人が死んだなら、逆にその人と自分との関係は完全に強固なものとなってしまうから、嫌な相手からとにかく逃れること、執着しないことで(法的措置が必要な場合はそれに従う)自分を解放するしかない、と。これはあくまでそのご住持の考えでしょうが、古来より人間関係を断ち切ることのできる宝剣があればどれだけ良いことか、という人々の願いもまた千手観音さまに通じて宝剣も持たれたのでしょうね。

過去の出来事

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