佛像圖彙113
【113】衆宝観音(しゅほうかんおん)
[通釈]
衆宝観音
長者身
[注]
長者 資産家・富豪の事。長者に化現して衆生を済度するの意。
[解説]
衆宝観音とは、羅刹の難を救う観音で、一人でも祈れば他の人も救われるという教え。衆宝は宝がたくさんあると言う意。財宝はいわゆる金銀財宝ではなく、心の中の宝、つまり仏性を意味している。
古い造像は見当たらず、最近作られたものが多い。ポーズは『佛像圖彙』と同じで、くつろいでいるようなお姿。蓮の花を添えているものなどもある。ちなみに、蓮の花は状態によりそれぞれ意味があり、つぼみは過去、開花は現在、枯れ始めているのは未来を表わす。葉も同様の状態で同様の意味を示す。生ある者は必ず死が訪れる。しかし、自分という存在は過去があったからこそ今の自分があるのだし、同じく今の自分が滅んでも、未来へと繋がってゆく。輪廻転生の思想では、死んでもまた生まれ変わることで生命も永遠であるとするが、死後の自分がどうなるかはともかく、現世は世代から世代へのバトンタッチで続いていくのだから、自分だけが好き勝手をして、後世がどうなろうと我関せずということはよくないが、そもそも何をどうしようと、そういう言動もすべて未来に伝わるのであり、逃れることはできないわけである。
画像は三井寺(園城寺)の衆宝観音。新しいものです。
Twitterで画像にある大阪市長の書について、批判するtweetが数多く見受けられます。全然公務に出ないといったことをはじめ、さまざまな言動が批判される対象だけに、揮毫した字まで批判される。「志」の上が「士」ではなく「土」になっている、といったことでの批判です。
私もこの市長に対してはふさわしからざる人という批判の立場ですが、さすがに文字についてまであれこれ言う気にはなれないし、却って批判する人の器量が問われます。
江戸時代の筆記の用例を掲げておきます、
御覧のように、上が「土」となっているものも多数あります。現代人は活字体の通りに書かなければならないと小学校低学年の時から厳しくしつけられ、トメ、ハネなど、ちょっと活字体と違っても教師はバツをつけたり、罰則として同じ字を10回とか多い場合は100回も書かせることをする。筆記というのは筆記用具が常に移動し、力の強弱などが作用するから、判で捺したように同じ字にすることは逆に難しい。字全体の形さえ覚えれば、筆記体は少々崩れても許容されるべきだし、古人はそのようなことは気にもとめなかった。なにしろ活字体なんてなく、楷書はあってもそれもまた活字体とは違うのだから。
下は国宝の空海筆「風信帖」。国宝に指定されるほどの名品ですが、書になじんでいる人以外、「汚い字」「これは上手なの?」としか感じません。国宝とか空海の作と教えなければ、さらにいろいろ酷評されるだけでしょう。
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