佛像圖彙109
【109】一葉観音(いちようかんおん)
[通釈]
一葉観音
宰官身
[注]
宰官 役人の事。役人の姿に変じて衆生を済度する。この辺りはいかにも中国的。牧民という言葉もある。伝説によると、中国で修行の成った僧(曹洞宗では道元とする)が帰国の途に就いた折、暴風雨に遇い難破しかけた。その時一心に観音を念じた時、一葉の蓮華に居ます観音が現れて救ったという。
[余説]
一葉というと達磨の故事。造寺造仏を誇る梁皇に対し「無功徳」と喝破し、一葉の葦に乗り長江を渡り嵩山(すうざん)に入ったという。樋口奈津の筆号を一葉というのは「達磨には足が無い」即ちお足が無いとの洒落。漱石も一葉達磨を描いていますね。(冢堀庵識)
[解説]
一葉観音は、水上の蓮華に坐り、水難から救って下さることを表す。
画像はTwitterの仏像紹介BOT @butsuzobot より永平寺一葉観音。この像は昭和47年に開眼供養が行われたもので、高祖大師が中国より帰朝の折、海が荒れ船中で苦しんでいた時、観音普門品偈を唱えると一葉の観音が現じ、荒波も静まり無事帰国できたという因縁による。
もう一つ。浅草神社本堂裏築山周辺にある一葉観音像(唐銅造)。寛政9年(1797)造立。秩父三十二番札所の本尊の模刻。頭上に笠をかぶって手にかいを持ち、蓮の花びらを舟に模して乗っている唐銅製の観音像。その一葉観音菩薩像は1797年、新吉原江戸町の質両替業万字屋の佐野ひで女によって寄進された。ひで女の子である久次郎は当時14歳。ある日、品川沖に遊山へと出かけた際に、不幸にものり船と衝突、水難死してしまう。そこで子の霊を弔おうと思ったひで女は、浅草寺と本所回向院と菩提寺の三ヵ所に数年を費やして一葉観音菩薩像を建立したという、寄進に関する言い伝えがある。今でもこの菩薩像は観音本堂裏に、金網で囲まれて安置されている。(サイト「浅草大百科」より)
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