佛像圖彙102
【102】白衣観音(びゃくえのかんおん)
[通釈]
白衣観音
比丘比丘尼身
[注]
出家者の姿に相当。
[解説]
白衣観音は、大白衣観音、白衣観自在母、白処、白衣母、白衣明妃とも称され、密教の『胎蔵界曼荼羅』には蓮華部に白処尊菩薩の名前でも登場する。古くからインドで崇拝されていたとされ、仏教に取り入れられてからは阿弥陀如来の明妃となり、観音菩薩の母とも仰がれて、その後、観音菩薩の主尊として信仰されるようになった。
中国で観音というとこの尊像が一般的。孫悟空が助けを求めに行く南海観音も。南海観音の霊山は浙江省の海中にある普陀山。五代の時、頻繁に往来していた日本僧慧萼(えがく)の開山。恵萼(生没年不詳)は平安時代前期の僧。日本と唐の間を何度も往復した。 漢字表記は一定せず、惠蕚、慧蕚、慧鍔、慧諤などとも書かれる。
日本では神奈川県の大船観音が著名(画像参照。各地に建立されている巨大な観音像もほとんどがこれ)。中国四大仏山のうち三山までが異国の僧侶の開山。
[雑記]
釈尊や孔子など、聖人たちはいずれも自身では著作を残さず、弟子やその弟子などによって言行がまとめられ、それが聖典、経典として後世崇められています。
更に、弟子らが同じことを質問しても、聖人はその人に分かりやすいように表現や例えを変えるために、元来は教えはごく単純なものであるはずが、弟子たちは自分が師から聞いたり教わったことを正しいとして書き残すため、却って後世の人にとってわかりづらいものとなります。
そのため、教えについての註釈が盛んになされるようになり、漢籍でも仏典でも、註釈や註釈の註釈が膨大な数となり、仏教の場合は註釈も広義のお経に加えてきた結果、一生かかっても読みつくせないほどのお経『大蔵経』(一切経)として威容を誇っています。
釈尊自身は悟りについても体得してよく分かっている。しかし、それを言葉で説明し、まだ体得していない人に伝えるとなると、あまりに抽象的、観念的では理解されないだけでなく、なにやら難しくて超人にしか無理と思わせてしまっては何にもならない。
弟子たちがそれぞれ聞いた師の教えを突き合せれば、おのずから同じことを言っているのがわかるはず。しかし、「自分はこのように教わった」「先生は私にこうおっしゃられた」といったように、聞いたままを正しいとしてしまい、他の弟子に対する説明が理解できなかったりすると、ますます自分の聞いたことを絶対視するようになる。この結果、弟子たちの分裂といったことに及び、これは宗教ではありませんが、孔子の弟子達の動きも全く同じです。孔子は「仁」を説いたが、個々の弟子たちの程度や理解力に応じて説明の仕方を変えた。これは『論語』でつぶさに知ることができますが、弟子の中には、自分の説明と他の弟子に対する説明が違うことを訝しく思う者もいる。師は完成された人であっても、弟子たちはまだ発達途上。それぞれの段階に応じで説明するのは当然なのに、自分より他の弟子に対する説明のほうが丁寧だったりすると、それだけで嫉妬したり、師は自分をぞんざいに扱っていると誤解する者もいる。
観音さまが色々変化するのも、一つには姿を現世に表わすに際して、衆生に分かりやすくするためであり(そういう理解で間違いではないと思う)、慈悲に満ちた優しいお顔も、憤怒の恐ろしいお顔も、その元にあるのは一つであり(済度)、そのための方法や態度によって姿かたちを変えているにすぎない。しかし、受け手の側は観音さまの気持ちや意味が十分理解できないため、表面で判断する。その結果、白衣観音さまのようなお姿に人気が集まり、大観音として各地に建立するのも無理ないことではあるでしょう。私などはお不動さまに惹かれたりしますが。
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