佛像圖彙92
【92】十一面観音(じゅういちめんかんおん)
[通釈]
十一面観音 梵字はキャ
(頭上の)前の三面は慈悲を表し、左の三面は憤怒を表し、右の三面は牙を上にし善を見ては喜び悪を見ては嘲笑する貌である。本体正面の尊顔は不笑(ふしょう、笑わない)不嗔(ふしん、怒らない)にして善悪不二の体を表す。頂上仏は過去の正法を明らかにし、如來の対果形因という。
また大光普照観世音という。
[注]
対果形因 因果の結果。
[解説]
十一面観音は、観音菩薩の変化身(へんげしん)の1つで、頭部に11の顔を持つ菩薩。阿修羅道の衆生を摂化するという。
密教の尊格であり、密教経典(金剛乗経典)の『十一面観自在菩薩心密言念誦儀軌経』(不空訳)『仏説十一面観世音神咒経』『十一面神咒心経』(玄奘訳)に説かれている。
『十一面観自在菩薩心密言念誦儀軌経』によれば、10種類の現世での利益(十種勝利)と4種類の来世での果報(四種功徳)をもたらすと言われる。
[十種勝利]
離諸疾病(病気にかからない)
一切如來攝受(一切の如来に受け入れられる)
任運獲得金銀財寶諸穀麥等(金銀財宝や食物などに不自由しない)
一切怨敵不能沮壞(一切の怨敵から害を受けない)
國王王子在於王宮先言慰問(国王や王子が王宮で慰労してくれる)
不被毒藥蠱毒。寒熱等病皆不著身(毒薬や虫の毒に当たらず、悪寒や発熱等の病状がひどく出ない。)
一切刀杖所不能害(一切の凶器によって害を受けない)
水不能溺(溺死しない)
火不能燒(焼死しない)
不非命中夭(不慮の事故で死なない)
[四種功德]
臨命終時得見如來(臨終の際に如来とまみえる)
不生於惡趣(悪趣、すなわち地獄・餓鬼・畜生に生まれ変わらない)
不非命終(早死にしない)
從此世界得生極樂國土(今生のあとに極楽浄土に生まれ変わる)
真言は「オン マカ キャロニキャ ソワカ」。
陀羅尼は「オン・ダラ・ダラ・ジリ・ジリ・ドロ・ドロ・イチバチ、シャレイ・シャレイ・ハラシャレイ・ハラシャレイ・クソメイ・クソマ、バレイ・イリ・ミリ・シリ・シチ・ジャラ・マハナヤ・ハラマ・シュダ・サタバ・マカキャロニキャ・ソワカ」。
画像は室生寺の十一面観音立像(国宝、平安時代)。
[雑記]
頭上(頂上)の小さな尊顔は全方向を向いています。つまり、真後ろを向いているものもある。しかし、仏像のうち如来や菩薩の背には光背(こうはい)がついていることがほとんどで、また、それがない場合でも壁を背にして安置してあるため、真後ろの顔は拝することはまず不可能です。
真後ろの顔はどのような表情なのか。それがこれ。
画像は滋賀県長浜の向源寺の十一面観音立像。
このように大笑いしている顔です。これは大笑面(暴悪大笑とも)といい、人々の悪行を大笑いすることで善へと導くとされています。悪い行いをする者を蔑む笑いという説も、「ワッハッハ。おぬしもワルよのう」と言っている。私たちの心の中を見透かしておられるわけです。
しかし、この大笑面はなぜ見えない所に配置したのか。他の十面は左右にあるものもできるだけ正面方向に寄っており、拝することができるようになっているのに、大笑面だけはわざわざ見えないようにしてある。
私見ですが、この大笑面は凛とした表情の観音さまの本心の一つで、衆生を救済しようと思案されている観音さまの尊顔は慈愛に満ちていますが、同時に、人というのは罪深く情けないもの、どうしても煩悩により悪事をしでかしたり道を誤ってしまう。そんな静かをみては、時には呆れて笑ってしまうしかない、つまり、正面、前面から見えないところで、観音さまは密かに笑うことで「よしよし、そなたも穢土に住み煩悩にまみれた身。当たり前の罪業を笑い飛ばしてやろう」ということなのかもしれません。
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