佛像圖彙78
[通釈]
日照王菩薩
智慧の日光で衆生の迷暗をお破りなされる。故にその智徳によってこの名を得られた。
『華厳経』に「惠日照世間 消除生死雲」(恵日世間を照らし、生死の雲を消除す)とある。
[注]
照破 「破」は強意の語助。
持物は鉦(しょう)。多くの解説には「照らす」に引かれて「鏡台」とするのは誤り。そもそも、鏡を手に持つ槌(つち)で叩くはずはないし、そのようなことをする意味がない。
[解説]
日照王菩薩は、智慧の光をもって衆生の明暗を照らしだして、仏道に励むよう導く菩薩。画像は奈良国立博物館蔵「日照王菩薩」。
[雑記]
『梁塵秘抄』126番。
法華経此のたび弘めむと、仏に申せど許されず、地より出でたる菩薩たち、其の数六万恒沙なり。
法華経を衆生のために広めたい、そのように仏さま(阿弥陀如来でしょう)にお願いしたものの、それを許してもらえなかった。なぜなら、地面を破って出て来た菩薩が六万恒沙もいるからだ。
法華経には地涌の菩薩(じゆのぼさつ)のことが書かれていて、釈尊の呼び掛けに応えて、娑婆世界の大地を破って下方の虚空から涌き出てきた菩薩たちが六万恒沙もいる、とのこと。恒沙(ごうしゃ)はガンジス川の砂の意で、正しくは恒河沙。数量が無数であることのたとえとして使われます。ちなみに、大きな数の単位を表わす数学用語にもなっており、10の52乗、一説に10の56乗とされています。大きなガンジス川にある砂粒の数など数えられるものではなく、仏教では宇宙の大きさを表すたとえとして使ってきました。ちなみに、仏教では宇宙というのは一つではなく、無数にあるとし、一つの宇宙に一つの仏(如来)がいるというのだから、如来の数もすごければ、その下でそれぞれ修行をする菩薩の数は更に大変なものとなります。近年の科学の研究では、我々のいるこの宇宙のほかに(外側に)別の宇宙があり、どうやら無数に果てしなく存在するらしい、ということがわかってきたそうで、これが事実だとすれば、事実が仏教哲学に近づいたことになります。
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