佛像圖彙61
【61】金剛拳(こんごうけん)
[通釈]
金剛拳(菩薩) 梵字はバン
一切の如来、大精進、金剛拳等の諸仏に帰依し奉る。
出生義にいう「一切の如来の住持成就門より金剛拳を生じさせたまう」と。
[注]
住持成就門 住持とは仏法を堅持すること。仏法を堅持し全ての願いを成し遂げるやりかた。寺の主僧を住職というが、これは寺に住む職という意味ではなく、住持する主僧、住持を職とする僧侶のこと。今は一般に「ご住職」と呼ぶが、「ご住持」という言い方もあり、むしろ「仏法を堅持されておられる方」と敬う意味でこの方が良いように私なぞは思う次第。
[解説]
金剛拳菩薩、秘密金剛菩薩とも。金剛界四方のうち北方、不空成就如来に属す。
以上が十六大菩薩。密教において、金剛界三十七尊の中、東西南北の各如来に属する菩薩のこと。菩薩でそれぞれ修行の身であるが、その目的はひとえに衆生の救済であり、それにはまず自身が悟りを開く彼岸に至るための六波羅蜜の修行をしなければならない。その姿を可視化したのが一連の図像である。
六波羅蜜(ろくはらみつ)とは、六度ともいい、布施(完全な恵み,施し),持戒(戒律を守り,自己反省する),忍辱(にんにく 完全な忍耐),精進(努力の実践),禅定(ぜんじょう 心作用の完全な統一),智慧(真実の智慧を開現し,命そのものを把握する)の六つ。智慧は他の五徳目の根拠となる。
[雑記]
お布施というと、世間では“葬式仏教”の印象から、お坊さんにお経を上げてもらうといくら、回向をしてもらうといくら、戒名はこれだけ、法事は、法要は、などと、なにをしてもらっても安くはないお金を払うこと、といった観念が広まってしまっていますが、もちろん、今のスタイルは本来のものとは違います。「布」という字が示すように、元々はお坊さんの衣のための布を感謝のしるしとして差し上げたもので、お金目当てといったことではまったくない。また、お坊さんがお経を上げたり法話をされたりするのもお布施。つまり、お布施とは出家と在家の相互にかわされるものであり、その点はきちんと押さえておきたいものです。
十六大菩薩については、どうやら『金剛頂経』で十六大菩薩の出生について記されているようです。それに関する仏教学者(僧侶でもある)の論文もありました。学術論文になるぐらいなので、とても奥の深いものであり、私のような全くの素人が容易に理解できるものではなく、改めてこのような通釈が無謀であることを恥じ入るばかりです。しかし、こういうことでも仏教の世界を知るきっかけとなり、興味も湧いて、これもまた発心か、などと勝手に思っているところです。
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