佛像圖彙41

【41】児普賢(ちごふげん)

[通釈]

児普賢 梵字はアン

『理趣経抄』にいう、「隨縁が遍く至るを普と名づけ、仏道に引入するを賢と名づける」と。


[注]

理趣経 真言宗の根本経典の一つ。「りしゅけい」と漢音で読む(後述)。理趣経抄は諸書有るので何を指すか未詳。

隨縁 縁に従うこと、縁に従って物事が生ずること。


[解説]

 文殊同様、普賢にもお稚児さんがおわします。『理趣経抄』の引用を以て解説に当てている。

 『理趣経』は『金剛頂経』十八会の内の第六会にあたる『理趣広経』の略本に相当する密教経典で、主に真言宗各派で読誦される常用経典。その真言宗では、不空訳『大楽金剛不空真実三摩耶経』(たいらきんこうふこうしんじさんまやけい、大楽金剛不空真実三摩地耶経・般若波羅蜜多理趣品、大正大蔵経243)を指す。

 経典は呉音で読まれるのが一般的だが、真言宗では『理趣経』が日本に伝来した時代の中国語の音から漢音で読誦する。例えば、経題の『大楽金剛不空真実三摩耶経』は「たいら(く)きんこうふこうしんじ(つ)さんまやけい」(カッコ内は読経時には読まない。呉音読みなら「だいらくこんごうふくうしんしつさんまやきょう」となる)と読み、本文の最初の「如是我聞」は他のほとんどの経では呉音読みで「にょーぜーがーもん」と読むが、『理趣経』では「じょーしーがーぶん」と読む。このことから、『理趣経』も「りしゅけい」と読むが、かつては僧侶以外は読誦させず、内容も知る必要はないとされたこのお経も、現在では解説本も多数出るほどとなり、僧侶もリモート法話を見ても一般人に対する説明では「りしゅきょう」と発音している。

 お経の多くは教えであり、また真言宗で用いられる経典は密教の行法の解説であることから極めて深淵で難解なために専門の僧侶あるいは学者にしか理解できないが、『理趣経』は作られたのが仏教の初期に属し、そのため却って一般の人でも分かり易いことや、人間は生まれつき汚れた存在ではないとし、男女の交合を清浄なる菩薩の境地とまで述べて俗人の煩悩を大いに刺激する一種の淫書のような趣きさえある。こういったことから、一般人に見せるものではないとされてきたが、これには諸説あり、このように捉えるのは間違ってはいないものの、そもそも経典は修行者のためのものであり、人の欲望は欲望として認めつつも、そこからどうするかが大切なのであり、交合の勧めで終わってしまっては経典にならない。

 仏教学の碩学、中村元は「欲望を持ち、煩悩に悩まされている凡夫の暮らしのなかに、真理に生きる姿を認めようというのが『理趣経』の立場である」と解釈している。

 交合する相手は縁あってのものだから、これは大切にしなければならない。しかし、交合だけがすべてではない。プラトニックな関係もまた縁である。

 『理趣経』は本文中で読誦の功徳(利益)を明確に謳っている珍しい教典である。功徳の最たるものは悟りへの道筋が開けることであるが、もっと卑俗な所では、病気除けや収入増加の利益があるとして民間で尊ばれてきた。現世利益は日蓮宗の専売特許のような感があり、真言宗はその対極にあるといってもよいが、このお経だけは現世利益を説く。しかし、内容が興味本位に猥雑な捉え方をされる恐れがあることから、戦前までは在家が経文の内容を理解することは厳しく戒められ、法事の時に僧侶の読経に檀家が唱和することも禁じられていた。漢音で読むのも内容を在家に分からせないためだといわれていたという。

 なお、伝教大師最澄と弘法大師空海との理趣釈経借経(経典を借りる)事件というのもあるが、これは改めて触れたい。

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