1913年2月20日
1913年2月20日 大正2年
山本權兵衞海軍大将が16代内閣総理大臣に就任し、第1次山本權兵衞内閣が発足(1913,2,20~1914,4,16)
1912年(大正元年)上原勇作陸軍大臣が、政府と陸軍の意見が合わないと単独で辞任し、後任の陸軍大臣を陸軍が出さない事件が起こり、第2次西園寺公望内閣が倒れた。これは軍部大臣現役武官制により、『陸海軍の両大臣はそれぞれ現役の中将又は大将に限る』と規定されていたことによる。前の第3次桂内閣は、再び藩閥政府になったとして世論の批判を浴び、第一次護憲運動により62日間の短命内閣であった。混乱の原因が陸軍であり、代わって海軍大将の山本権兵衛に組閣が命じられた。それまでの藩閥政治から、政友会の原敬を内務大臣とする政党内閣に近い体制が取られた。
総理 山本権兵衛
外務 牧野伸顕
内務 原敬
大蔵 高橋是清
陸軍 木越安綱
海軍 斎藤実
司法 松田正久
文部 奥田義人
農商務 山本達雄
逓信 元田肇
内閣書記官長 山之内一次
法制局長官 岡野敬次郎
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