佛像圖彙18

【18】山越如来(やまこしのにょらい)

[訳]

山越の弥陀

伝説によると、比叡山は横川の山の上に弥陀のお姿が現れ給うたと。時に源信僧都はこれを拝み、衣の袖にそのお姿を描き置かれた。詳しくは横川慧心院にその写された尊像があり、並びに縁起に詳しい。


[注]

源信 げんしん 942〜1017 平安中期の天台僧。比叡山横川 (よかわ) の恵心 (えしん) 院に住んだので恵心僧都ともいう。大和の当麻 (たいま) の卜部 (うらべ) 氏の出身。9歳で比叡山に登り,良源に師事。顕密 (けんみつ) の学を修め,『往生要集』を著して念仏往生の教えを説き,貴族や庶民に大きな影響を与えた。

素絹 そけん。白い絹で作った法衣。冢堀庵曰く、今は僧の階級に依って色々に染める。是も佛法の堕落と私は見ます、と。


[解説]

 この仏は来迎図の一形式である山越阿弥陀図に描かれているもので、仏画にのみ存在し、仏像としての作例はないようである。

浄土から迎えにくる阿弥陀三尊が山越しに現れるさまを描いたもので,恵心僧都の感得と伝える。鎌倉時代に作られ,禅林寺,上野家,金戒光明寺等のものが著名。


山越阿弥陀図(重文)3曲1隻 金戒光明寺蔵(京都国立博物館展示)


[参考]京都国立博物館による解説

春分の日前後は、お彼岸として祖先を供養します。彼岸は、本来は仏教以前からある日本の民俗信仰に基づくもので、仏教が従来の祖先祭祀を取り込んだ形で発展させたものと言えます。春分の日は太陽が真西に没することから、太陽信仰と結びついたのですが、仏教では西方極楽浄土の信仰と深く関わりました。『観無量寿経』には、浄土の光景をイメージすることが極楽往生の方法と説き、浄土の景観をパーツ分割してイメージ合成する手法が説かれています。その中に、落日の光彩に阿弥陀の放つ光明のイメージを重ね合わせる日想観があります。この浄土信仰に太陽信仰と祖先信仰が結びついて彼岸が成立したわけです。浄土の美々しい光景に光彩陸離たる夕日を思い重ねて下さい。

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