仏像圖彙12
【12】下品上生(げほんじょうしょう)
[訳]
下品上生(の往生を遂げる者)は、悪行をしたとしても臨終の時に知識と遇い大乗の教えを讃頌した者。また阿弥陀仏の名を称える行者。化仏を見て(極楽の)宝池に生まれる。
[冢堀庵注]
極楽宝池 阿弥陀経には次のようにある。「極樂國土 有七寶池 八功德水 充滿其中 池底純以 金沙布地」(極楽国土に七宝池があり、八功徳水がその中に充満している。池の底は砂金で敷き詰められたようになっている)。池まで金ぴかの様です。此のあたりが私が極樂を好きに成れない所です。まぁ下品上生位が凡夫に相応しいのでは。サザエさんに波平氏が「辞世の句でも作るか」と謂った時、カツオ君が「あの世でもどうってことない平亡者」と。中々の名吟です。
[解説]
九品仏の第七、下品上生。大乗方等経典を誹謗せずとも、多くの悪事を行って恥じ入ることのない者。臨終の時に大乗十二部経の経題を聞いて、1000劫の極重悪業を除き、また阿弥陀の名号を唱えると50億劫の生死の罪業を滅除し、化仏の来迎を受けて浄土へ往生し、七七(四十九)日を経て蓮華が開敷し、勢至や観音から聞法信解して菩提心を起し、10小劫を経て菩薩の初地に入るという。
化仏(けぶつ)とは、変化仏、または応化仏の略。仏や菩薩が衆生を救うため、その機根に応じて現れる仏や菩薩、また明王となった姿。仮の仏形。化身。また三身論の報身や応身を化仏ともいう。娑婆世界に出世した釈迦仏は応身の仏とされ、浄土教の阿弥陀仏は、西方極楽浄土の法身から変えてこの娑婆世界に報身として衆生を迎えにきたとされる。
三身(さんじん、または さんしん、梵: trikāya)は、大乗仏教における、仏の3種類の身のあり方(法身・報身・応身)で、仏身観の一種である。三身説。『十地経論』巻3には「一切の仏に三種の仏あり。一に応身仏、二に報身仏、三に法身仏なり」とある。通常はこの三身説がよく用いられる。
三身が具現していることを、三身即一、あるいは三身円満などという。
※専門的な用語が頻出しており、一読してこれを理解するのは至難の業です。それこそ一読してすぐ理解できる人は「上品」対象であり、凡夫としては少しでも理解できるよう修行を積まなければなりません。しかし、出家の身ならともかく、在家はこれらを理解するよりも、「勢至や観音から聞法信解して菩提心を起し」つまり菩薩に信解(しんげ)して菩提心を起こすことが大切ということです。
信仰には二種類あり、深信(じんしん)と信解(しんげ)がそれ。深信は文句なしに頭から信じること、信解は何らかの「証し」を得て信じること。深信は盲目的に信じることから危険な点もあり、基本的には教えを聞いてよく咀嚼し理解した上で信じる信解がよいとされます。まさに「信じるも信じないもその人次第」。
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