仏像圖彙8

【8】上品下生(しょうほんげしょう)

[訳]

上品下生の者は、因果の理を信じ、ただ道心を発するもののみ極楽国に生まれることができる。

臨終に際し阿弥陀・観音・勢至及び五百化仏と共に迎え取られる。

五百の化仏讃言して「法子よ汝は今(極樂)に生まれた」と(観経の十四観に據るも文言に異なるところがある)。


[解説]

 上品下生とは、因果律(一切のものは何らかの原因から生じた結果であり、原因がなくては何ものも生じないという法則)を信じ大乗を誹謗せず、ただただ無上道心を起す者。その功徳により廻向して往生を希求し、また往生した後に1日1夜で華が開き、三七(21)日後に耳目が明らかになり、諸仏の国土へ赴き、3小劫の後に歓喜地に往生するという。

 歓喜地(かんぎじ)とは、菩薩が既に初阿僧祇劫(はつあそうぎこう。阿僧祇劫は無限に長い期間)の行を満足して、聖性を得て見惑を破し、二空の理を証し大いに歓喜する位。仏法を信じ、一切衆生を救済しようとの立願を起こし、ついには自らも仏になるという希望を持ち歓んで修行する。菩薩が修行して得られる菩薩五十二位の中、下位から数えて第41番目から第50番目の位を十地(じっち、じゅうじ)というが、歓喜地は第50番目。

 初回から専門的な仏教用語や世界観が分かっているものとして容赦なく出てくるので、凡夫には各仏像に添えられた短い説明文すら容易に理解し難い。そこで、一つずつ押さえてゆくしかないが、菩薩について基本的なことをまとめると、菩薩とは平易な言い方をすれば「修行をする」ことであり、その人のこと。何を修行するかといえば

布施(ふせ)(施しをする)

持戒(じかい)(戒律をまもる)

忍辱(にんにく)(辛抱する)

精進(しょうじん)(努力する)

禅定(ぜんじょう)(坐禅する)

般若(はんにゃ)(智慧)

 以上の六つで、これを六波羅蜜(ろくはらみつ)の修行という。ここでまた仏教用語が出てきたが、波羅蜜とは、パーラミターという昔のインドで使われていたサンスクリット語を漢字に音訳した言葉で、到(とう)彼岸(ひがん)又は完成という意味で、つまり彼岸へ到るための六つの修行ということになる。

 仏教では、自分の欲求を満たすために右往左往し、欲望が満たされないと苦しんだり、怒ったり、欲望が満たされると満足して幸福を感じるというように、欲望に振り回され、六道(ろくどう)輪廻(りんね)(天上、人間、餓鬼、畜生、阿修羅、地獄)を流転する世界を此岸(しがん)という。

 反対に、仏さまの道を求め、そのことを誓願として生きる世界を彼岸(ひがん)という。

 生きている間に今の生き方や価値観を彼岸の生き方に転換させることが彼岸に渡るということであり、そのために必要な修行とされたのが六波羅蜜の修行という。

 般若(はんにゃ)とは、サンスクリット語を音訳した言葉で、智慧という意味。世間一般でいう智慧ではなく、この世をありのままにみる智慧であり、般若経が説く「空(くう)」をみる智慧ということ。

 さらに空とは、私たちの心も体も大宇宙もその実体はなく、様々な条件や要素の寄せ集め(縁起)として存在しているということ。

 以上のことだけでも一度で理解するのは大変だが、興味を持ち、少しでも理解しようとすることもまた「発心」であると思う。

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