仏像圖彙6

【6】九品の弥陀 上品上生(くほんのみだ じょうぼんじょうしょう)


[訳]

梵字はキリーク

上品上生(の往生を遂げる者に三者有り)

一は慈恵の心にて殺生をせず諸々の戒律を具えている者。

二は大乗方等経典を読誦(どくじゅ)する者。

三は念佛修行を怠らず浄土に往生する事を願う者。


[注]

六念とは佛徒が敬い行うべき六つの事項。三宝(仏・法・僧)に加えて「戒・施・天」の六つ。

西京浄瑠璃寺は九体揃っていますが皆印相は同じ。

東京世田谷区奥沢の浄真寺は江戸時代のものですが九体共に印相が違っているのが好ましい。三年に一度上品堂から本堂に架け橋を渡し二十五菩薩の来迎(らいごう)の様を演じます。通称「お面被り」。但し冠毒猖獗を極め昨年は中止。


[解説]

 釈迦像に続いては九品弥陀仏。

 その前に、ここで基本的なことを押さえておきたい。

 本来、仏像とは仏の像、仏陀(ブッダ)つまり如来の像だけを指す。仏陀とは、悟りの最高の位「仏の悟り」を開いた人を指し、釈迦牟尼をも意味する。初期仏教では、仏教を開いた釈迦ただ一人を仏陀とされていた。

 このため、まだ修行中である菩薩はもちろん、不動明王像や四天王、十二神将像など如来の眷属(けんぞく)をはじめ、鑑真和上や弘法大師などの祖師像にいたるまで、如来以外は仏像ではない。しかし、ご出家はともかく、世間一般の人にとっては菩薩から祖師像までありがたいものとして拝み、支えとする対象として如来と変わりはない。そのため、現代では仏像といえばこれらすべてを指す。

 同じことはすでに江戸時代にみられ、本書が「仏像圖彙」と題するのも、如来、菩薩、明王、天部、力士、神将まで仏像という認識だったことがわかる。

 さて、これよりいわゆる九品仏(くほんぶつ)の部となる。九品(九種類の衆生)に対応する九体の阿弥陀仏のこと。

阿弥陀仏は人が亡くなると極楽浄土へといざなう仏。しかし、極楽浄土で生まれ変わるにあたり、この世で生活した仕方によって9種類の生まれ方があるとされ(『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』の教え)、非の打ちどころがない善人は臨終のとき、仏が迎えにきて即座に極楽に往生でき、これを上品上生(じょうぼんじょうしょう)という。以下、上品中(ちゅう)生、上品下(げ)生、中品上生、中品中生、中品下生、下品上生、下品中生と続き、最後の下品下生(げぼんげしょう)は、極悪非道の行為を繰り返した者が、臨終のとき、念仏を唱えたことによって往生できることをいう。この思想に従って、阿弥陀仏にも九つの印相(いんぞう。手に結ぶ印の形)があるという考えが一般化し、鎌倉中期以降、とくに九品の阿弥陀仏の造像が行われた。

この九つの種類というか、区別について、宗教学者などを中心に厳しい意見が古来からある。生前の行いにより、死後に極楽か地獄かに行先が分かれるという考えは、西洋の天国と地獄の影響をうけているとされ、仏教の極楽は天国とは異なり、成仏すれば悪人でも女性でも(これも古来よりいろいろ批判があるが、平安から鎌倉にかけて、女性たちの多くが法華経に帰依した理由でもある)極楽に往生できる。ただ、極楽へいざなう阿弥陀さまに種類があり、本書でもわかるが、下位になるほどぞんざいになる。この点は、それぞれよく考えて頂きたいと思う。

東急電鉄九品仏駅

東京・浄真寺の「お面被り」(トラベルjpより)

過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。