仏像圖彙5

【5】涅槃釈迦(ねはんのしゃか)


[訳]冢堀庵主人担当

八十歳の時クシナガラのヒランニャバッティ河のほとり、沙羅双樹の間にて二月十五日の夜半に涅槃にお入りになられた。時に中国の周の穆王(ぼくおう)三十六年壬申(みずのえさる)に当たる。


[注]同上

余談ですが、本郷幸次郎主演の映画「釈迦」は大映の特撮。釈迦成道前夜の誘惑の塲面は矢張り本邦最初の裸女の群舞だった由。嘗ての同僚のやけに映画に詳しい先輩に聞きました。勝新が提婆達多を演じているのも見物でした。

余談其の二。寝釈迦といえば天明元年刊芝全交作の黄表紙「當世大通佛開帳」は目黒の蛸薬師と寝釈迦と地蔵が通人と成って品川遊郭に遊びに行くという破天荒な物。


[解説]大森博子担当

 涅槃(ねはん、ニルヴァーナ、ニッバーナ)とは、一般にヒンドゥー教、ジャイナ教、仏教における概念で、繰り返す再生の輪廻から解放された状態のこと。インド発祥の宗教においては、涅槃は解脱の別名。仏教においては、煩悩を滅尽して悟りの智慧(菩提)を完成した境地のこと――などといった意味だが、平たくいえば死である。仏教の釈迦、キリスト教のイエスなど、聖人の死が永遠の始まりとする宗教が多い。肉体は滅びても精神、教えは不滅というもの。事実、完全な形とはいえないものの、聖人たちの言動は人々を感動させ、歴史の荒波にもかき消されることなく今も生きている。聖人たちは、自分の言動が未来永劫大切にされ、人類の師として崇められるといった意識(欲)はなかったと思う。意識して残そうとしても化けの皮はすぐ剥がれる。

 余談だが、聖人の中で、孔子だけは死についての様子を伝える記録がない。つまり、儒教の祖である孔子の場合、死によって永遠化されるといったことがなかった。これは現在でもいろいろ議論の的となっていることだが、大勢の弟子がいて、死後も3年間墓守までした者さえいるのに、孔子の死の様子を記す弟子はいなかった。孔子の基本的言行録である『論語』は3種類あったとされ、今伝わっているものの他にあと2種類あるとすれば、それらの中にあるいは孔子の死を記したものがあるかもしれない。中国では今も古代の文献の出土が続いており、大いに期待が持てる。ただ、発掘にも人員と経費が必要だし、明らかに盗掘されていない墳墓は別として(しかし、そのようなものは少ない)、どこに未知の遺跡や埋蔵物があるかわからないのが現状だから、幻の『論語』にお目にかかれるのは数世代先になるかもしれない。

 閑話休題。釈迦の死は詳細に記録され、その姿は涅槃仏として崇められている。弟子たちだけでなく、鳥獣たちさえも泣き悲しんだとする説もあるほどだが、、釈迦は既に教えはすべて説いたのだから、これからはそれぞれが自分を灯明とし、自分を拠り所とするように諭して入滅したという。

 なお、釈迦の死因だが、にわかに腹痛を催し、これがために亡くなったとする。この点は生々しいので、事実かもしれない。腹痛の原因はスーカラマッタヴァという料理で、豚肉、あるいは豚が探すトリュフのようなキノコであったという説もあるが定かではない。徳川家康の死と通じるものがある。

法隆寺五重塔内の涅槃仏

仏涅槃図(部分、高野山金剛峯寺所蔵、平安後期)。右上に摩耶夫人のお姿が。

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