1898年1月12日
1898年1月12日
伊藤博文が7代内閣総理大臣に就任し、第3次伊藤博文内閣が発足
地租増徴を目指して衆議院を解散したものの、政局運営に自信を失った前総理松方正義に代わって伊藤が組閣した。だが地租増徴に反対する進歩党と自由党からの協力は得られなかったために、文部・農商務・逓信を自派(伊藤系官僚)が、内務・司法・陸軍を山縣有朋系が占める超然内閣を作らざるを得なかった。第5回衆議院議員総選挙では自由・進歩両党が圧勝、これに対して伊藤は選挙から僅か3ヶ月で再度衆議院を解散した。だが、これに対して進歩党と自由党が合同して憲政党を結成、貴族院も政権に非協力的な態度を取った為に、伊藤は自らの政局運営の甘さの自覚と新党結成の決意を固めて、山県有朋らの反対を押し切って憲政会の大隈重信・板垣退助のいずれかを後継にするように上奏して内閣を総辞職した。
総理:伊藤博文 長州藩 伯爵
外務:西徳二郎 薩摩藩 男爵
内務:芳川顕正 徳島藩 子爵
大蔵:井上馨 長州藩 伯爵
陸軍:桂太郎 長州藩 子爵(陸軍中将→)陸軍大将
海軍:西郷従道 薩摩藩 国民協会会頭 伯爵 海軍大将 陸軍中将
司法:曾禰荒助 長州藩
文部:西園寺公望 公家 貴族院 侯爵
農商務:伊東巳代治 肥前国 男爵
逓信:末松謙澄 豊前国 男爵
班列:黒田清隆 薩摩藩 伯爵 陸軍中将
内閣書記官長:鮫島武之助 薩摩藩 貴族院
法制局長官:梅謙次郎 松江藩 内閣恩給局長兼任。
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