1709年4月23日
宝永6年4月23日[貞享暦]1709年6月1日 甲子 土曜日 清・康煕48年
先に禁裏造営の助役に任命した本田能登守忠常逝去により、改めて松平下総守忠雅に命じる。
二条右大臣綱平・近衛左大臣家久参府。井上河内守正岑を使者として旅館に派遣し、高家織田能登守信門が同行。
瑞春院三丸へ移るにより、硯・文台・屏風・錦・二種一荷、御台所より縮緬・画帖・ほかい・添重・一種一荷、御部屋の方より紗綾・檜重・肴を進薦。瑞春院より羽二重・二種一荷を献上、御台所・御部屋の方にも同じ。三家はじめ諸大名より瑞春院への物の献上は瑞春院が固辞したため差し止めに。
令:この月廿五日は御誕辰によて、このゝち評定所の立合廿六日たるべし。
0コメント