1901年2月28日
1901年2月28日 明治34年
【内 閣】
第2次山縣有朋内閣
総理 山縣有朋/外務 青木周蔵/内務 西郷従道/大蔵 松方正義/陸軍 桂太郎/海軍 山本権兵衛/司法 清浦奎吾/文部 樺山資紀/農商務 曾禰荒助/逓信 芳川顕正
内閣書記官長 安広伴一郎/法制局長官 平田東助
【元 老】
黒田清隆 伊藤博文 山県有朋
【東 京】
府知事 岡部長職/東京市長 松田秀雄
東京帝大史料編纂掛が『大日本史料』の刊行を開始
『大日本史料』は、1901年(明治34年)から現在まで刊行が続けられている日本史の史料集。六国史(『日本書紀』から『日本三代実録』まで)の後、国史の編纂事業が行われていないため、その欠落部分を埋めるべく編纂が始まった。平安時代の宇多天皇(887年即位)から江戸時代までを対象とし、歴史上の主要な出来事について年代順に項目を立て、典拠となる史料を列挙する。
経緯
1895年(明治28年)に帝国大学文科大学に史料編纂掛(現・東京大学史料編纂所)が設けられて歴史書の編纂が始まった。当初は正史(通史)を記述する計画であったが、結局史料集を編纂することになった。編集方針は、江戸時代に和学講談所(塙保己一が開設)で編纂された「史料」を基礎とした。「史料」は宇多天皇から後一条天皇(1016年-1036年在位)までが対象であった。史料編纂掛では、宇多天皇の887年(仁和3年)から1867年(慶応3年)を16編に分けて編纂を行い、「史料稿本」(5600冊程の草稿)を作成した。「史料稿本」をもとに校訂作業が行われ、各編ごとに順次刊行を行うことにした。『大日本史料』は1901年(明治34年)、第六編(南北朝時代)から刊行が始まった(「太平記」が史料の一つとして引用されている)。同年に第十二編(江戸時代)、1902年に第四編(鎌倉時代)の刊行と続いた。100年を超える大事業となり、平均すると年に数冊の刊行ペース、これまでに419冊(2020年11月現在)が刊行されている。
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