和俗童子訓127

貝原益軒著『和俗童子訓』127(終)

をよそ婦人の、心ざまのあしき病は、和順ならざると、いかりうらむると、人をそしると、物ねたむと、不智なるとにあり。凡此五の病は、婦人に十人に七八は必あり。是婦人の男子に及ばざる所也。みづからかへり見、いましめて、あらため去べし。此五の病の内にて、ことさら不知をおもしとす。不知なる故に、五の病をこる。婦女は、陰性なり、陰は夜に属してくらし。故に女子は男子にくらぶるに、智すくなくして、目の前なる、しかるべき理をもしらず。又、人のそしるべき事をわきまへず。わが身、わが夫、わが子の、わざはひとなるべき事をしらず。つみもなき人をうらみいかり、あるは、のろ(呪)ひとこ(詛)ひ、人をにくみて、わが身ひとりたてんと思へど、人ににくまれ、うとまれて、皆わが身のあだ(仇)となる事をしらず。いとはかなく(果敢)あさまし。子を愛すといへど、姑息し、義方のおしえをしらず。私愛ふかくして、かへりて子をそこなふ。かくおろかなるゆへ、年すでに長じて後は、よき道を以、をしえ、さとらしめがたし。只、其はなはだしきをおさへ、いましむべし。事ごとに道理を以、せめがたし。故に女子は、ことにいとけなき時より、はやくよき道をおしえ、あしきわざをいましめ、ならはしむべからず。

宝永七庚寅年初夏日

筑前州 益軒貝原篤信撰   

和俗童子訓 巻之五 終


【通釈】

およそ婦人の心における悪い病は、和順でないのと、怒ったり恨んだりするのと、人をけなすのと、ねたむのと、知恵がないことである。

この五つの病は、婦人の十人に七八人は必ずある。これが婦人の男子に及ばない所である。我が身を省み、いましめ、改めてなくすようにするのがよい。

この五つの病の中では、特に知恵がないことが重要である。知恵がないために五つの病が起こる。

婦女は陰性である、陰は夜に属して暗い。だから女子は男子に比べて知恵が少なく、目の前にあるしかるべき道理も知らない。

また、こういう態度をすれば人からそしられるだろうという事をわきまえず、我が身、我が夫、我が子にとって禍いとなるという事を理解せず、なんの罪もない人に対して恨んだり怒ったりし、あるいは、呪ったり人を憎んで、自分ひとりだけいい子ぶろうと思うものの、人に憎まれ、うとまれて、結局すべて我が身のあだ(仇)となる事を知らない。なんと浅はかで浅ましいことか。

子を愛すといっても、姑息で、親が子に対して教えることも知らない。私愛が深ければ深いだけ、却って子をだめにしてしまう。親が愚かであれば、子が成長して後は、良き道を教え悟らせようとしても、子には通用しない。ひとえにその悪い所を抑えて戒めるようにすること。事ごとに道理を以て分からせることは難しい。だから女子は、特に幼い時より早く良い道を教え、悪い行いは戒めて、それに慣れさせないようにすることが大切である。

宝永七庚寅年初夏日

筑前州 益軒貝原篤信撰   

和俗童子訓 巻之五 終


【解説】

 童子訓、童子の訓(おし)えという書名のとおり、本書は幼児教育の大切さを説いており、その理念は決して間違ってはおらず、読み書きをはじめとして一生にわたって必要かつ役に立つものは習得も記憶力もよいうちにすべきということも、発達に合わせた教育として現代でも推奨され、広く行われている。

 ただ、人はその時代相から逃れ、超越することは至難の業で、良かれと思って力説した事が、基本的にはその時代のしがらみに立脚しているということは古典の多くの作品に示される通りである。むしろ、本当にその時代を超えて先進的なものは、同時代人から異端視されたり、時には危険なものとして排斥、弾圧されたりする。また、そのような目に遭わずとも、誰からも理解されずにそのまま埋もれてしまい、数百年経ってから慧眼の士によって再評価され、それによりはじめて有名になるということもある。

 益軒の場合も時代の通念に従っているため、特に女性に対する認識が現代では物議を醸すものとなっており、『女大学』とともに本書の巻五によって益軒を全否定する向きも少なくない。しかし、いささか弁護をさせていただくならば、男性による女性観というものがよくわかること、益軒が念頭に置いている読者はおもに武家であるという点である。

 婦人はこのようにせよ、嫁ぎ先ではこのようにすべし、ということは、裏返せば、男性や他家というのは、かくも自分本位であり、反論したところでとてもすぐに聞くような者ではない、まずはひたすら従い(これも現代では批判の的だが)、心が通うようになってから言うべきことは言うようにと述べ、ただ言いなりになれということではない。

 さらに、下男下女といった使用人までいる家を前提としていることから、当主の妻となる女性に対しての心得であり、庶民の女性まですべてに対して言っているのではないことにも注意すべき。江戸時代が男尊女卑として批判されることが多いが、女性に対して国家が教育を通して正式に要求するようになったのは明治時代からであり、富国強兵策により女性は家庭を守る=銃後の守りが義務であると思わしめるに至った。こういうことは江戸時代にはまったくなかったことである。

 本書について、詳しい解説書、注釈書は数多出ており、ここではあくまで紹介するにとどめたい。

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過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。