1901年2月3日
1901年2月3日 明治34年
【内 閣】
第2次山縣有朋内閣
総理 山縣有朋/外務 青木周蔵/内務 西郷従道/大蔵 松方正義/陸軍 桂太郎/海軍 山本権兵衛/司法 清浦奎吾/文部 樺山資紀/農商務 曾禰荒助/逓信 芳川顕正
内閣書記官長 安広伴一郎/法制局長官 平田東助
【元 老】
黒田清隆 伊藤博文 山県有朋
【東 京】
府知事 岡部長職/東京市長 松田秀雄
福沢諭吉、脳溢血が再発したため2月3日に東京で死去。享年68(満66歳没)。7日に衆議院が「衆議院は夙に開国の説を唱へ、力を教育に致したる福沢諭吉君の訃音に接し茲に哀悼の意を表す」という院議を決議。
黒龍会発会式挙行。主幹は内田良平。
ロシアのバクーのナフサ精留塔6基で火災。火は約25万トンの石油を備蓄する近隣の貯蔵施設に広がり、周辺の建物とともに全焼。死者約30人、重傷者約100人。
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