和俗童子訓109

貝原益軒著『和俗童子訓』109

婦人に七去とて、あしき事七あり。一にてもあれば、夫より逐(おい)去らるる理たり。故に是を七去と云。是古の法なり。女子にをしえきかすべし。一には父母にしたがはざるは去。二に子なければさる。三に淫なればさる。四に嫉めばさる。五に悪疾(あしきやまい)あればさる。六に多言なればさる。七に窃盗(ぬすみ)すればさる。此七の内、子なきは生れ付たり。悪疾はやまひなり。是二は天命にて、ちからに及ばざる事なれば、婦(ふ)のとがにあらず。其余の五は、皆わが心よりいづるとがなれば、つつしみて其悪をやめ、善にうつりて、夫に去(さら)れざるやうに用心すべし。およそ人のかたちは、むまれ付たれば、あらためがたかるべけれ。心は変ずる理(ことわり)あれば、わが心だに用ひなば、などか、おろかなるより、かしこきにも、うっ(移)さばうつらざらん。然れば、わがあしきむまれ付をしりて、ちからを用ひ、あしきをあらためて、よきにうつるべし。此五の内、。したまづ父母に順がはざると、夫の家にありて、しうと、しうとめにしたがはざるは、婦人第一の悪なり。しかれば夫の去は、ことはりなり。次に妻をめとるは、子孫相続のためなれぱ、子なければさるもむべ也。されど其婦の心和(やわら)かに、行ひ正しくて、嫉妬の心なく、婦の道にそむかずして、夫・しうとの心にかなひなば、夫の家族・同姓の子を養ひ、家をつがしめて、婦を出すに及ばず。或又、妾に子あらば、妻に子なくとも去に及ぶべからず。次に淫乱なるは、わが夫にそむき、他の男に心をかよはす也。婦女は万の事いみじくとも、穢行(えこう)だにあらば、何事のよきも見るにたらず。是女の、かたく心にいましめ、つつしむべき事なり。妬めば夫をうらみ、妾をいかり、家の内みだれてをさまらず。又、高家には婢妾多くして、よつぎ(世嗣)をひろむる道もあれぱ、ねためぱ子孫繁昌の妨となりて、家の大なる害なれば、これをさるもむべ也。多言は、口がましきなり。ことば多く、物いひさがなければ、父子、兄弟、親戚の間も云さまたげ、不和になりて、家みだるるもの也。古き文にも、「婦に長舌あるは、是乱の階(はし)なり。」といへり。女の口のき(利)きたるは、国家のみだるる基となる。といふ意なり。又、尚書に、「牝鶏の晨(あした)するは、家の索(さびしくなる)也。」と云へり。鶏のめどり(牝鶏)の、時うたふは、家のおとろふるわざはいとなるがごとく、女の、男子の如く物いふ事を用るは、家のみだれとなる。凡家の乱(みだれ)は、多くは婦人よりをこる。婦人の禍は、必口よりいづ。戒むべし。窃盗とは、物ぬすみする也。夫の財をぬすみてみづから用ひ、或わが父母、兄弟、他人にあた(与)ふる也。もし用ゆべく、あたふべき事あらば、しうと・夫にとひ、命をうけて用ゆべし。しかるに夫の財をひめて、わが身に私し、人にあたへば、其家の賊なれば、これをさるもむべなり。女は此七去の内、五をおそれつつしみて、其家を出ざらんこそ、女の道もたち、身のさいはひともなるべけれ。一たび嫁して、其家を出され、たとひ他の富貴なる夫に嫁すとも、女の道にたがひぬれぱ、本意にあらず。幸とは云がたし。もし夫不徳にして、家、貧賎なりとも、夫の幸なきは、婦の幸なきなれば、天命のさだまれるにこそと思ひて、うれふべからず。


【通釈】

婦人に七去(しちきょ)といって、悪い事が七つある。一つでもあれば、夫より放逐される理由になる。ゆえにこれを七去といい、昔からの決まりである。女子によく教え聞かせること。

一には、父母に従わないのは去らせる。二には、子がなければ去らせる。三には、淫らであれば去らせる。四には、妬み深いのは去らせる。五には、悪い病気があれば去らせる。六には、口数が多いのは去らせる。七には、窃盗をすれば去らせる。

この七つの内、子ができないのは生まれつきのものであり、悪疾は病気で、この二つは天命で自分自身の努力では及ばざる事なれば、婦人の罪ではない。他の五つは、皆自分の心より出る罪であるから、慎んでその悪をやめて善に移り、夫から去らせられないように用心しなければならない。

およそ人の容貌は生まれ付きのものであれば、これを改めるのは難しい。しかし、心は変わることができるのだから、自分で自分のことをよく注意すれば、愚かなことを賢くなるように移ることはできる。

されば、生まれつきのわが心の悪い部分をよく知り、それを改めるよう努力して善に移ることである。

この五つの内、まず父母に従わないのと、夫の家にあって、舅と姑に従わないのは、婦人として第一の悪である。であれば、夫が去らせるのは当然である。また、妻をめとるのは子孫相続のためであれば、子が出来なければ去らせるのも当然である。しかし、その妻の心が温和で行い正しく、嫉妬の心なく、婦人の道に背かず、夫・舅の心にかなっているのなら、夫の家族・同姓の子を養子として家を継がせて、妻を出すには及ばない。或はまた、妾に子があれば、妻に子がなくとも去らせるには及ばない。

次に淫乱なるのは、わが夫に背き、他の男に心を通わせることになる。妻はさまざまな事がよくても、この穢行(えこう)があれば、どんな善いことも帳消しになる。女はかたく心に戒め、慎むべき事である。妻が妬めば夫を怨み、妾に対して憎悪し、家の内が乱れて治まらなくなる。また、身分の高い家には婢妾が多く、世嗣ぎを広げることをするから、いちいち妬めば子孫繁昌の妨げとなり、家の大いなる害となるから、そのような妻は去らせるのも当然である。

多言は、口がましきことである。言葉数が多く、口答えすれば、父子、兄弟、親戚の関係も悪くなり、不和になって家を乱すことになる。古い文にも、「婦に長舌あるは、是れ乱の階(はし)なり」という。女のおしゃべりは、国家の乱れるもととなる、という意である。また、尚書に、「牝鶏(ひんけい)の晨(あした)するは、家の索(さびしくなる)也」という。鶏のめどり(牝鶏)が時を告げるのは、家が衰える禍いとなるという意味で、このように女が男のように物をいうのは、家の乱れるもととなる。およそ家の乱れは、多くは婦人よりおこる。婦人の禍いは、必ず口から出る。戒むべし。

窃盗とは、物ぬすみをすること。夫の財を盗んで自分のものとし、或はわが父母、兄弟、他人に与えることである。もし何かに使うことがあったり与えなければならないことがあれば、舅・夫にきちんと話して、了解のもとで使うこと。夫の財を密かに自分のものとしたり人に与えれば、これはその家の賊であるから、これを去らせるのも当然である。

女はこの七去の内、五つをおそれ慎んでその家から出されないようにしてこそ、女の道も立ち、身の幸いともなる。一たび嫁して実家を出て、たとえ他の富貴な夫に嫁しても、女の道に違えれば、それは本意ではない。幸福とは言い難い。もし夫が不徳にして、家が貧しくとも、夫にとって幸せでなければ、婦にとっても幸せではないのだから、これも天命の定めたことと思い、決して憂えてはならない。

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