和俗童子訓108
貝原益軒著『和俗童子訓』108
婦人には、三従の道あり。凡婦人は、柔和にして、人にしたがふを道とす。わが心にまかせて行なふべからず。故に三従の道と云事あり。是亦、女子にをしゆべし。父の家にありては父にしたがひ、夫の家にゆきては夫にしたがひ、夫死しては子にしたがふを三従といふ。三のしたがふ也。いとけなきより、身をおはるまで、わがままに事を行なふべからず。必人にしたがひてなすべし。父の家にありても、夫の家にゆきても、つねに閨門の内に居て、外にいでず。嫁して後は、父の家にゆく事もまれなるべし。いはんや、他の家には、やむ事を得ざるにあらずんば、かるがるしくゆくべからず。只、使をつかはして、音聞(いんぶん)をかよはし、したしみをなすべし。其つとむる所は、しうと、夫につかへ、衣服をこしらへ、飲食をととのへ、内をおさめて、家をよくたもつを以、わざとす。わが身にほこり、かしこ(賢)だてにて、外事にあづかる事、ゆめゆめあるべからず。夫をしのぎて物をいひ、事をほしいままにふるまふべからず。是皆、女のいましむべき事なり。詩経の詩に、「彼(かしこ)にあっても悪(にく)まるる事なく、ここにあつてもいと(厭)はるる事なし。」といへり。婦人の身をたもつは、つねにつつしみて、かくの如くなるべし。
【通釈】
婦人には、三従の道がある。およそ婦人は柔和で、人に従うのを道とする。自分の心のままに好き勝手をしてはならない。だから三従の道というものがある。これもまた女子に教えること。
父の家にあっては父に従い、夫の家に行っては夫に従い、夫が死ねば子に従うのを三従という。三つの従うものである。幼い時より一生を終えるまで、わがままに事を行なってはならない。必ず人に従ってすること。父の家にあっても、夫の家に行っても、つねに部屋の内に居て、外には出ない。嫁いで後は、父の家に行く事も稀であろう。ましてや、他の家にはやむ事を得ない事情がない限りは、軽々しく行ってはならない。ただ使いの者をつかわして、手紙をやりとりしてよしみを通じればよい。
女の務めは、舅と夫に仕え、衣服をこしらえ、飲食を調え、内を治めて家をよく保つことである。自分を自慢し、賢そうにして家の外の事にまで出しゃばろうとすることがあってはならない。夫をさしおいて物を言い、好き勝手に振る舞うことがあってならぬ。これらは皆、女の戒むべき事である。詩経の詩に、「彼(かしこ)にあっても悪(にく)まるる事なく、ここにあってもいと(厭)はるる事なし」とある。婦人の身を保つには、つねに慎み深くして仕えることである。
【解説】有名な「三従の道」(三従の教え)である。古くからこのような教えがあったわけではなく、一つは儒家のテキストとして尊重されてきた『儀礼』(ぎらい)喪服篇、もう一つは聖徳太子の作とされる『勝鬘経義疏』(しょうまんきょうぎしょ)にある考えが次第に融合され、女性はかくあるべしという具体的な認識になったものと考えられる。このうち、後者は序に「則為阿踰闍友称夫人、顕三従之礼」(則ち阿踰闍友称夫人(あゆじゃゆうしょうぶにん)のために、三従の礼を顕かにす)とあり、『超日明三昧経』下には「少(わか)くは父母に制せらる。出でて嫁ぐは夫に制せらる。自由を得ず。長大なるは子に難ぜらる」(正蔵一五・五四一中)とあり、仏教における女性観として、女性の生涯を年少・結婚後・年を重ねた後の三期に区分した上で、女性は生涯にわたり家族内にあって従属的であるとする。こういった考えを益軒も容認し、女性の幼少期からのしつけ、教育として教えることを説く。繰り返しになるが、このようなあり方は女性の人格そのものを押さえつけ、否定するものとして現代では厳しく指弾される一方、一部には「女らしさ」を身につける上で必要であるとする向きもあり、論争が絶えない。
0コメント