和俗童子訓96
貝原益軒著『和俗童子訓』96
字を学ぶには、必まづ真書を大文字に書習ふべし。内閣字府の七十二筆を先うつ(写)すべし。次に行草を習ふべし。凡字を書習ふには、真・行・草ともに、古人の能書を法とすべし。東坡が曰、「真は行を生じ、行は草を生ず。真は、人の立(たつ)がごとく、行は、人のゆくがごとく、草は、人の走るがごとし。いまだ不立して、能行(よくゆき)、能走るものはあらず。」といへり。是を以見るに、真は本也。草は末也。もろこしに先(まず)真書より学ばしむる故に、字画正してあやまりなし。倭俗は真字を学ばざる故に、文字をしらず、筆画に誤多し。真書を学はざれば、草書にもあやまり多し。本邦近代の先輩、さばかり能書の名を得たる人おほけれど、真書を不学ゆへ、其筆跡、真・草共に多くは誤字あり。証とするにたらず。世俗文盲なる人、真書を早く学べば、手腕(うで)すくむ、といふは誤也。是書法をしらざる人の公事也。初学より真書をよく書習ふべし。初学の時、真・草ともに小字のみ書て、大字を書ざれば、手すくみて、はたらかず。故に初て手ならふには、真・草ともに大に書べし。其後には、次第に細字をも書習ふべし。手のすくむと、はたらくとは、習字の大小にあり。真草によらず。
【通釈】
字を学ぶには、必ずまず楷書を大文字に書き習うこと。「内閣字府」の七十二筆をまず書写する。次に行草を習う。
凡そ字を書き習うには、楷・行・草ともに、古人の能書を手本とすること。蘇東坡がいう、「真(楷書)は行を生じ、行は草を生ず。真は、人の立つがごとく、行は、人のゆくがごとく、草は、人の走るがごとし。いまだ立たずして、よく行き、よく走るものはあらず」と。これをもとに考えるに、楷書は本であり、草書は末である。中国ではまず楷書より学ばせることから、字画が正しくあやまりがない。我が国では楷書を学ばないために文字を知らず、筆画に誤りが多い。楷書を学ばなければ、草書にも誤りが多い。本邦の近代の先輩で多少なりとも能書の名を得た人は多いが、楷書を学んでいないため、その筆跡は、楷書・草書共に多くは誤字がある。だから手本とすることはできない。
世間で、文盲な人が楷書を早く学べば手腕(うで)がすくむ、といふうは誤りである。これは書法を知らない人のひが事である。初学より楷書をよく書き習うこと。
初学の時、楷書・草書ともに小字のみ書いて大字を書かなければ、手がすくんで思うように動かない。だから初めて手習いをするには、楷書・草書ともに大字を書くこと。その後に、次第に細字をも書き習うようにする。手がすくんだり動くというのは、習字の大小にあり、楷書と草書の別は関係ない。
0コメント