和俗童子訓76

貝原益軒著『和俗童子訓』76

本朝にも、古代は能書多し。皆唐筆をまなべり。唐人も、日本人の手法をほめたり。中世以後、からの筆法をうしなへり。故に能書すくなし。あれども上代に及ばず。近代は弥(いよいよ)、俗流になりし故、時を逐(おい)て拙なくなる。凡文字は中華よりいで、真・行・草もからよりはじまる。日本流とてべつ(別)にあるべからず。から流の筆法にちがへるは、俗筆なり。同じくは、からの正流を、はじめよりならふべし。但(し)近世の、正しからざる唐筆をならへば、手跡ひがみ、よこしまにして、よみがたし。文盲たる人は、から流はよみがたしと云。それは、あしき風をならひたるを見ていへり。からの書は、真字を先(まず)ならひて、それにしたがひて行・草をかく。故に筆跡正し。日本流は、真字にしたがはず、字形をかざる故、多くは字画ちがひ、無理なる事多し。


【通釈】

我が国にも、古代は能書が多かった。皆唐筆を学んだのである。唐人も、日本人の手法を褒めた。しかし中世以後、唐の筆法を失ってしまった。そのために能書が少なくなった。僅かな能書も上代には及ばない。近代はいよいよ俗流に走り、時とともに拙いものとなった。

凡およ文字は中華より生まれ出て、楷書・行書・草書も唐から始まっている。日本流というのが別にあるわけではない。唐流の筆法でないものは俗筆である。筆法は、唐の正流を最初から習うのがよい。但し、近世の誤った唐筆を習ってしまうと、手跡が悪くよこしまになって、読みにくいものとなる。文盲の人は、唐流は読みにくいと言う。それは、悪い書体を習ったものを見たためである。

唐の書は、楷書をまず習い、それに続いて行書と草書を書く。だから筆跡が正しい。日本流は、楷書に従わず、字形をことさら飾るため、多くは字画が違い、無理な書体になっているものが多い。


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