和俗童子訓70
貝原益軒著『和俗童子訓』70
四書を、毎日百字づつ百へん熟誦して、そらによみ、そらにかくべし。字のおき所、助字のあり所、ありしにたがはず、おぼへよむべし。是ほどの事、老らくのとしといへど、つとめてなしやすし。況、少年の人をや。四書をそらんぜば、其ちからにて義理に通じ、もろもろの書をよむ事やすからん。又、文章のつづき、文字のおきやう、助字のあり処をも、よくおぼえてしれらば、文章をかくにも、又助となりなん。かくの如く、四書をならひ覚えば、初学のつとめ、過半はすでに成れりと云べし。論語は一万二千七百字、孟子は三万四千六百八十五字、大学は経伝を合せて千八百五十一字、中庸は三千五百六十八字あり。四書すべて五万二千八百四字なり。一日に百字をよんでそらに記(おぼ)ゆれば、日かず五百廿八日におはる。十七月十八日なれば、一年半にはたらずして其功おはりぬ。はやく思ひ立て、かくの如くすべし。これにまされる学問のよき法なし。其れつとめやすくして、其功は甚だ大なり。わがともがら、わかき時、此良法をしらずして、むなしく過し、今八そぢになりて、年のつもりに、やうやう学びやうの道すこし心に思ひしれる故、今更悔甚し。又、尚書の内、純粋なる数篇、詩経、周易の全文、礼記九万九千字の内、其精要なる文字をゑらんで三万字、左伝の最(も)要用なる文を数万言、是も亦日課を定めて百遍熟読せば、文学におゐて、恐らくは世に類なかるべし。是学問の良法なり。
【通釈】
四書(ししょ)を毎日百字ずつ百遍熟誦して、暗誦し、そらで書く。字の置き所、助字のある所など、原文に違わず覚えて読むのがよい。これほどの事は、老らくの歳になっても努力すれば難しいことではない。ましてや少年の人はなおさらである。
四書を暗記すれば、そのおかげで義理に通じ、もろもろの書物を読むことも容易である。また、文章のつづき、文字の置き具合、助字のあり所もよく覚えてしまえば、文章を書く上で助けとなる。
このように四書を習い覚えれば、初学のつとめの過半は既に成就したといえよう。論語は一万二千七百字、孟子は三万四千六百八十五字、大学は経伝を合せて千八百五十一字、中庸は三千五百六十八字、四書すべてで五万二千八百四字ある一日に百字を読んでそらで覚えれば、日数は五百二十八日で終わる。十七か月と十八日だから、一年半にも満たずに終わる。早く思い立って、このようにすべき。これに勝る学問のよい方法はない。努めやすく、その効果はとても大きい。
私はといえば、若い時にこの良法を知らず、むなしく過ごし、いま八十歳になって、年を重ねながら少しずつ学び方の道が分かってきた状態で、今更ながらとても後悔している。
尚書の内、純粋なる数篇、詩経、周易の全文、礼記九万九千字の内、その精要なる文字を選んで三万字、左伝の最も重要な文を数万言、これらもまた日課を定めて百遍熟読すれば、学問においては、恐らくは世に類のない人となるだろう。これが学問の良法というものである。
【解説】
暗記してしまうほど経書(けいしょ)を読めば、読解力が身に付き、他の難しい書物も読みこなせるし、文章を書く上でもよいものが書けるようになる、ということ。暗記中心の勉強法については賛否いろいろあるが、昔の人の暗記力は大変なものだし、総じて文章もよく書けていることからみても、この方法が無意味だといって否定してしまうことはいかがなものかと思う。もちろん、記憶力は人により差がある。しかし、だからこそ若いうちにやるだけのことはやったほうが、後になってもいろいろ有効であるし、年配になってからでは、たくさんのことを短時間で覚えることは困難になるから、良法は早く始めるにしかず、というのが益軒の実体験に基づく主張である。
─────────────
0コメント